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10 31
2010

フィジー 生活日記

フィジー生活⑥

10月28日(木)、29日(金)、30(土)、31(日)
 木曜日はシニア隊員の方たちも含めて同期全員が久しぶりにそろってドミで晩餐会を開いた。久しぶりに豚カツやちらし寿司を作ってみた。このメンバーでそろって飲むのも次は1月の隊員総会の時だ。
 29日の朝にはバヌアレヴ島やラウトカなど各メンバーが続々と旅立っていった。これから活動が始まるというのに何かさびしい気がした。昼には買い物に行った。ハンディクラフトセンターで土産用だとは思うが音が意外としっかりした太鼓を見つけたので即購入した。おじさんは気を良くしたのか、ブレスレットまでプレゼントしてくれた。また別の店では入っただけで亀の木彫りをくれる始末。買わないといけない雰囲気の中、頑張って逃げてきました。夜は残ったメンバーで韓国料理屋に行き、やっとプルコギを食べることができた。
 30日にはスバ隊員が引っ越しをして、残ったのはついに村落の2人だけ。夜には先輩隊員がフィジーのナショナル野球チームの遠征費を稼ぐために企画したハロウィンパーティーに出る。仮装は強制ではなかったがトイレットペーパーを体中に巻いてマミーに変身。巻くのを手伝ってくれたのはトイレで出会ったフィジーのラグビーのナショナルチームのメンバー。マミーはフィジー人にも結構好評で喜んでもらえた。しかも仮装コンテストでみごと優勝。商品としてワインを2本もらう。ただ食事なしで飲んでいたので転倒してしまい頭を打ってしまった。次の日の朝、鏡を見るとおでこにアザが残っていた。

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 31日はおとなしくする気もなく、ボールを持って見つけたバスケットコートまで行った。昼は買い物に出かけたが、キャッシュカードの暗証番号を3回間違ってしまいカードが機械の中に吸い込まれていった。取り出すためには本店に行かねばならないが、平日は閉っている。明日は朝早くに出発するので銀行に行くことができない。結局木曜日にスバに帰ってくるしかなくなった。いきなり躓くって感じになってしまった。
 さていよいよ明日からが本格的に活動が開始される。自分が本当に国際協力という舞台でやっていくことができるのかどうかここからわかってくるだろう。大学院で学んだこと、マラウイやインドネシアでの経験をどこまで生かすことができるのか。そしてこの2年間で自分がどれだけ成長できるのか。さてここからがはじまりはじまり。
明日以降はネットが基本的に使えないのでブログの更新はほとんど出来ないと思います。スバに来た時に一気に更新したいと思います。
10 28
2010

フィジー 生活日記

今後…②

11月27日(水)
 ヒンドゥーの授業がやっと終わった。これで一カ月の研修もようやく終了した。明日のブリーフィングが終わった後、明後日から9人のメンバーがそれぞれ任地に派遣される。自分は首都からバスで3‐4時間の村に派遣されるので首都に来るのはそれほど難しくはない。ただ他の島に行くメンバーは船では一日近くかかるし、飛行機も高いのであまり今後会う機会は少ないだろう。明日の晩はシニアの人も含めてパーティーをドミトリーで開くことになった。
 自分はと言えば特に用意するものはない。行けば行ったなりにどんな生活もすると考えているのであまり任地でのことは気にしていない。それよりも任地で何から始めようかとここ最近考えている。来週の頭からの向こうの事務所での話合いで決めようとも考えているが、現在の計画はとりあえず11月中は村の全世帯の家を訪れて挨拶を含めてどのような人が住んで、どのような状態なのかを知るところから始めようと思う。夜のカヴァの飲み会にもできるだけ参加して顔を売っていきたい。
10 27
2010

フィジー 生活日記

今後は

11月26日(火)
 ホームステイから帰って来た後も今日・明日とヒンディー語の勉強は続いている。あまりテンションが上がらない。
 今日、調整員の人から来週の予定について説明を受けた。予定はほぼ未定の状態であるが、まぁこんなもんだろうと思っていたので特に気にもならなかった。とりあえず来週の月曜日から任地の方に行くことが決まったのと、2日以上は現地事務所でフィジーの農村についての簡単な説明を受けることになるそうだ。本格的に動き出すのは再来週からになりそうである。ただ来週の金曜日はヒンドゥー教の大きなお祭りの日らしく、昨日のホームステイの家族が遊びに来いと言ってくれ、ぜひお祭りを見てみたい。ただどうなるかは誰も知らない状態であるだろう。
 ただこの予定だと今週末は暇になる予定だ。もちろん赴任前の準備もあるがそこまで用意して持って行きたいものも少ない。土日のどちらかでも何か予定を入れたい。さて候補としては①オイスカの農業研修所の見学に行く、②スバでゆっくりと準備、③12時間かけてビチレブ島を一周する、④その他…。
10 26
2010

フィジー 生活日記

インド系集落へのホームステイ

10月22日(金)
 ヒンドゥー語が終了した後、昼から日本大使館で大使館の職員の人にフィジーについて個人的に話を聞く時間を作ってもらった。話によるとフィジーの財政状態はあまり芳しくないらしい。IMFからの資金貸し付けの話もあるらしいが、軍事独裁政権(普通に暮らしているだけだと全く感じない)のために資金貸し付けのためのいくつかの条件を履行できずIMFが貸し付けを渋っているのが現状である。日本もIMFの決定に従って、現在フィジーにおいては協力隊事業以外では気候変動などの環境面の援助と津波などの緊急支援の2つに限定している。しかしフィジー周辺の有力国が対フィジー支援に消極的な中で存在感を示しているのが中国らしい。中国は援助事業に関して説明責任を持たないので、こうした軍事独裁など関係なく援助を行っている。アフリカでもアンゴラなどの独裁政権に資源の優先利用を条件に援助を行っている。現在、日本をはじめオーストラリアやアメリカなども中国のこうした動きに危機感を募らせている。
 また気候面でもフィジーも異常な状態が起こっているらしい。スバでは日本の台風級の豪雨が一日中降っている。雨季も今までよりも多いらしい。しかしその反面、北部や西部では降水量が減少し、干ばつ起こっているらしい。自分の行く地域も水の面でもしかしたら大きな問題に直面するかもしれない。

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10月23日(土)、24日(日)、25日(月)
 朝は土曜日の市場がどのようなものかを見たくてスバの町まで歩いていった。人や車は平日よりも少なかったが、市場の周りは平日以上の活気があった。市場の建物から大きくはみ出して多くの人が野菜や魚介類を売っていた。面白いのは普段はあまり見ない、カニやエビ、タコが大量に売られていたことだ。エビやカニはおそらくマングローブで獲れたものであろう。土曜日はどうやらスバ周辺の農村から主にネイティブフィジー人の人が野菜や魚介類を売りに来る日らしい。足の踏み場がないくらいに野菜などが置かれ、市場には普段以上の活気があった。大きなエビを4匹買ってドミに帰ってニンニクと一緒に炒めたがかなり美味かった。
 そして何より良かったのが市場でフィジアン村にホームステイした時のお母さんと娘に再会したことだ。モニ村の人たち何人かと一緒に来たみたいで自分との再会をかなり喜んでくれた。お母さんが売っていたのは大きなパパイヤとトウガラシのみで、場所は他の村人と離れて売っていた。とりあえずパパイヤとトウガラシを購入したが、お金を受け取るのを強く拒むお母さんにお金を渡すのは大変であった。どうやら毎週土曜日にここに来ているみたいなので、来週の土曜日にもし予定が入っていないようならもっと早い時間に来て、何か手伝いたいと思う。
 さてここからが本題で、昼からインド系の村へ2泊3日のホームステイに行って来た。正確には村と言うよりは集落と言った方がよく、わずか12軒の家が密集している小さな集落であった。インド系の方がネイティブ系よりも家がカラフルな印象がある。自分がお世話になったのはお父さんとお母さん、15歳&11歳の2人の娘がいる家であった。前にアメリカのピースコ(アメリカの協力隊プログラム)が7週間滞在していたらしく、外国人の受け入れには慣れているようだった。お父さんの主な仕事は酪農らしく、集落の近くに牛を20頭ばかり放牧している。早朝と昼に搾乳を行っているらしく、朝は4時くらいから8時くらいまで働き、家に帰って一服し、また15時頃から搾乳を行っている。夜はカヴァを飲んでいるらしく、ネイティブ系のカヴァの飲み友もいるらしい。彼らによるとカヴァは本来ネイティヴ系の飲み物であったが、現在ではインド系の方が好きだということだ。ただインド系は形式にこだわらないのか、飲む前後に手は叩かない。搾乳は意外に難しく、試してみたが全然牛乳を採る事ができない。戦力外であった。

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 家の周りには菜園や鳥小屋があり、菜園ではタロやナスを主に栽培していた。鳥小屋ではニワトリやアヒルを合計40羽くらい飼育していた。菜園の管理や鳥小屋は奥さんと隣に住むおばあちゃんの仕事のようだ。しかし日曜日お父さんと子どもたちが鳥小屋の掃除をしていた。
 この家庭は村の中では中ぐらいであるようで、生活水準が高い家では車だけでなく家の横にクルーザーまであった。また子どもをアメリカやカナダに留学させてもいるようだ。自分の家の2人の娘は公立の学校に行っているが、裕福な家の子どもは教育レベルの更に高い私立の学校まで通わせているらしい。このように同じ集落でも格差が存在することをまじまじと思い知らされた。
 村に滞在中は家の子ども2人とほとんど遊んでいた。これまでインド系の女の子はあまり外で遊ばないイメージがあったが、彼女たちは別でサッカーやバレーをやりたがった。近くの家の体育隊員も含めてサッカーをやっていたがかなり動きが活発で驚いた。また近くの家の6‐7歳くらいの女の子が遊びに来て、カンフーごっこなどもやった。この子はかなりカンフーが好きらしく、終始攻撃されまくった。集落の子どもはなぜか大半が女の子で男の子はたった4人しかいないらしい。しかし近くの別の集落から男の子や大人がやって来て近くのグラウンドでサッカーをやっている。

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 幸運だったのが近くでヒンドゥー教の結婚式があり、出席させてもらえたことである。土曜日は夜に前夜祭に出席した。前夜祭では次の日の結婚式に備えて女性たちがお祈りなどをしていた。この前夜祭はエンドレスで続くらしく、23時くらいに帰って来た。次の日の式は11時からで4時くらいまで結婚式は行われた。
 結婚式が行われたのは花嫁の集落らしく、花婿側の親族が花嫁を迎えに来る形で行われた。後で知った事だが、結婚式が行われた家は花嫁の家ではなく、本当の花嫁の家は会場の近くの粗末な家らしい。そのため比較的裕福な人が家を会場として貸してくれたらしい。花婿の方はお金持ちらしく、親族は比較的洗礼されていたように見えた(自分の花婿の印象は悪かったが)。この結婚は家族が決めた事らしい(実際に現在は自由恋愛の方が多いらしいが)。
 11時くらいに花婿とその親族を乗せた車が会場にやって来て、花婿とその父親らしきひとはまずヒンドゥー教の司祭らしき人に会場に入るために身体を清める儀式を行ってもらう。その後、花嫁の親族から祝福を受けた後に、花嫁が登場して2時間ほどの儀式が司祭によって行われる。自分がカメラで写真を撮っていたら花嫁の親族の人に頼まれて結婚式の写真を撮るカメラマンに任命された。とりあえず親族からお墨付きを得たので儀式のかなり至近距離で写真を撮る事ができた。知らない人はなんで東洋人が式の周りをウロチョロしてんだろうか、と思っただろう。良かったのが最終的には家の中まで入ることができたことだ(半分強引に促されて)。まず関係のない外国人は入る事ができない。家の中でもお祈りなどが行われていた。最後は花嫁が親族に別れを告げる形となり、皆大泣きしていた。車が発進する時は周りの人がコインを投げて祝福していた。自分にとってはヒンドゥー教の結婚式に参加できたのはかなりラッキーであったと思う。

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 ホームステイ先では相変わらず子どもたちとサッカーをして遊んだり、ヒンドゥー映画(マイファミリーという映画を合計3回も見せられた)を観たり、おはじきとビリヤードが合体したようなゲームをしていた。ただやはり実感したのは自分がこの2年間で何をどこまでできるのかはまだ分からないが、ただ一つ間違いないのは自分が何かをやる以上に多くの人に何かをしてもらうことだ。ネイティブ系の家族にしろ、今回のインド系の家族にしろ、人との出会いはかなり面白い。一つ一つの出会いを大切にしていけるようにしたい。

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10 22
2010

未分類

フィジー生活⑤

10月18日(月)
 今日から1週間半のヒンドゥー語の講義が始まった。週末にはインド系の家でのホームステイが控えている。ヒンドゥー語の文型は日本語と同じSOVであり、主語の省略などもできるので日本語にかなり近い。しかし外国語の学習でSVOの文型に慣れてしまっていたので馴染むことができない。また発音が難しく、微妙な違いが全くわからない。何よりヒンドゥー語を勉強するモチベーションが全く湧いてこない。村ではインド系はいないために基本的には使わない。もっとフィジー語を勉強したいような気がする。
 さてフィジーに関して良く言われていることに、タロイモやキャッサバみたいな簡単に栽培できる根栽類の食糧があるためにフィジー人はあまり働かない、ということがある。それは果たして本当なのかどうかは今後の2年で分かってくると思う。しかしこの前、村に行ってみてフィジー人の家にホームステイしたが、多くの家でテレビや冷蔵庫があったという。ある家では車なども所有していた。これらの電化製品は日本と比べると価格は高い。またフィジー人の平均収入(7‐8万ぐらい?)から見ても安くはない。しかし購入しているということは現金収入があるということだ。村のフィジー人の中には朝から夜まで養鶏をやっている働き者の人もいたらしい。また多くの人がある時期にサトウキビのプランテーションへ出稼ぎに行くと聞いたことがある。村に入るとまずフィジー人にとって働くということはどういうことか、お金の使い道はどんなものかについて調べる必要がありそうだ。
 日本でもだが稲作には大量の労働力を投入する必要がある。特に水稲稲作を行うためには水の管理や農機具の管理などコストも時間も手間もかかる。しかし所有している土地が小さければどんなに頑張っても自家消費で終わってしまう場合もある。フィジー人がタロやキャッサバを主食として選択したのはもしかしたら彼らにとっては合理的であったのかもしれない。しかし余暇を果たしてどのように使っているのかはまだわからない。それを理解することなくフィジー人が働かないなど言えないだろう。

10月19日(火)
 相変わらずヒンドゥー語を勉強する。頭に入らない。
 今日は同期のメンバーがドミトリーで誕生日を祝ってくれた。プレゼントは変なTシャツと変なキャラクターのネクタイであった。誕生日のケーキは町のパン屋さんで買ってきたらしいが、青いクリームがかなり印象的であった。味は…。

10月20日(水)
 相変わらずヒンドゥー語の授業。楽しくなく、苦痛を感じる。
 町で味ポンを見つける。

10月21日(木)
 ヒンドゥー語に全く集中できない。困った。困った。
 スバの町にも慣れてきた(飽きてきてた)。スバは買い物するところはいろいろあるが、ここでの生活は日本の生活と大して変わらない。唯一面白いのは野菜市場くらいである。
 スバはフィジーの首都で大きいといっても大した大きさではない。他の町が小さすぎるのだ。町にはいくつかのショッピングセンターや映画館などもある。食糧もお金さえ出せば日本食を作るのに最低限必要な材料は揃う。小さい町であるが交通量はあり、信号などが少ないために道路を渡るのはちょっと危ない。車は町中ではゆっくり走っているが、歩行者優先ではないので、運転手は人を轢くのも覚悟して運転しているような錯覚に陥る。おそらく勇気ある人が優先なのだろう。
 スバの町で良く見かけるのはネイティヴフィジー人とインド系であるが、中国人も多く滞在している。ショップのオーナーの多くは他の国と同様にインド系か中国人である。スバで一番頭のいい高校(中学?)も中国系の学校で、下校時には町で中国人の子どもを多くみかけることがある。アフリカの国と違うのは町を歩いていても「チェンチェン」や「チナ」と言われないことだ。しかし聞くところによると中国人のイメージはフィジーでもそこまで良くないらしい。
 この日の夜はシニアの方の家で御馳走になった。フィジーは肉が安く、ステーキを食べまくった。大根おろしにワサビ、ポン酢で最高であった。
プロフィール

Teppei

Author:Teppei
2003年-2006年 都留文科大学で国際協力とスピードスケートに出会う
2006年4月 イギリスのCollege for International Cooperation and Developmentに半年間所属
2006年11月 マラウイのDevelopment AID from People to Peopleに半年間所属。農村を走り回る。
2007年 大学に戻る。
2008年 名古屋大のGSIDで農村開発を専攻
2010年 JOCVでフィジーの村落開発に関わる予定

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