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10 28
2010

フィジー 生活日記

今後…②

11月27日(水)
 ヒンドゥーの授業がやっと終わった。これで一カ月の研修もようやく終了した。明日のブリーフィングが終わった後、明後日から9人のメンバーがそれぞれ任地に派遣される。自分は首都からバスで3‐4時間の村に派遣されるので首都に来るのはそれほど難しくはない。ただ他の島に行くメンバーは船では一日近くかかるし、飛行機も高いのであまり今後会う機会は少ないだろう。明日の晩はシニアの人も含めてパーティーをドミトリーで開くことになった。
 自分はと言えば特に用意するものはない。行けば行ったなりにどんな生活もすると考えているのであまり任地でのことは気にしていない。それよりも任地で何から始めようかとここ最近考えている。来週の頭からの向こうの事務所での話合いで決めようとも考えているが、現在の計画はとりあえず11月中は村の全世帯の家を訪れて挨拶を含めてどのような人が住んで、どのような状態なのかを知るところから始めようと思う。夜のカヴァの飲み会にもできるだけ参加して顔を売っていきたい。
10 27
2010

フィジー 生活日記

今後は

11月26日(火)
 ホームステイから帰って来た後も今日・明日とヒンディー語の勉強は続いている。あまりテンションが上がらない。
 今日、調整員の人から来週の予定について説明を受けた。予定はほぼ未定の状態であるが、まぁこんなもんだろうと思っていたので特に気にもならなかった。とりあえず来週の月曜日から任地の方に行くことが決まったのと、2日以上は現地事務所でフィジーの農村についての簡単な説明を受けることになるそうだ。本格的に動き出すのは再来週からになりそうである。ただ来週の金曜日はヒンドゥー教の大きなお祭りの日らしく、昨日のホームステイの家族が遊びに来いと言ってくれ、ぜひお祭りを見てみたい。ただどうなるかは誰も知らない状態であるだろう。
 ただこの予定だと今週末は暇になる予定だ。もちろん赴任前の準備もあるがそこまで用意して持って行きたいものも少ない。土日のどちらかでも何か予定を入れたい。さて候補としては①オイスカの農業研修所の見学に行く、②スバでゆっくりと準備、③12時間かけてビチレブ島を一周する、④その他…。
10 26
2010

フィジー 生活日記

インド系集落へのホームステイ

10月22日(金)
 ヒンドゥー語が終了した後、昼から日本大使館で大使館の職員の人にフィジーについて個人的に話を聞く時間を作ってもらった。話によるとフィジーの財政状態はあまり芳しくないらしい。IMFからの資金貸し付けの話もあるらしいが、軍事独裁政権(普通に暮らしているだけだと全く感じない)のために資金貸し付けのためのいくつかの条件を履行できずIMFが貸し付けを渋っているのが現状である。日本もIMFの決定に従って、現在フィジーにおいては協力隊事業以外では気候変動などの環境面の援助と津波などの緊急支援の2つに限定している。しかしフィジー周辺の有力国が対フィジー支援に消極的な中で存在感を示しているのが中国らしい。中国は援助事業に関して説明責任を持たないので、こうした軍事独裁など関係なく援助を行っている。アフリカでもアンゴラなどの独裁政権に資源の優先利用を条件に援助を行っている。現在、日本をはじめオーストラリアやアメリカなども中国のこうした動きに危機感を募らせている。
 また気候面でもフィジーも異常な状態が起こっているらしい。スバでは日本の台風級の豪雨が一日中降っている。雨季も今までよりも多いらしい。しかしその反面、北部や西部では降水量が減少し、干ばつ起こっているらしい。自分の行く地域も水の面でもしかしたら大きな問題に直面するかもしれない。

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10月23日(土)、24日(日)、25日(月)
 朝は土曜日の市場がどのようなものかを見たくてスバの町まで歩いていった。人や車は平日よりも少なかったが、市場の周りは平日以上の活気があった。市場の建物から大きくはみ出して多くの人が野菜や魚介類を売っていた。面白いのは普段はあまり見ない、カニやエビ、タコが大量に売られていたことだ。エビやカニはおそらくマングローブで獲れたものであろう。土曜日はどうやらスバ周辺の農村から主にネイティブフィジー人の人が野菜や魚介類を売りに来る日らしい。足の踏み場がないくらいに野菜などが置かれ、市場には普段以上の活気があった。大きなエビを4匹買ってドミに帰ってニンニクと一緒に炒めたがかなり美味かった。
 そして何より良かったのが市場でフィジアン村にホームステイした時のお母さんと娘に再会したことだ。モニ村の人たち何人かと一緒に来たみたいで自分との再会をかなり喜んでくれた。お母さんが売っていたのは大きなパパイヤとトウガラシのみで、場所は他の村人と離れて売っていた。とりあえずパパイヤとトウガラシを購入したが、お金を受け取るのを強く拒むお母さんにお金を渡すのは大変であった。どうやら毎週土曜日にここに来ているみたいなので、来週の土曜日にもし予定が入っていないようならもっと早い時間に来て、何か手伝いたいと思う。
 さてここからが本題で、昼からインド系の村へ2泊3日のホームステイに行って来た。正確には村と言うよりは集落と言った方がよく、わずか12軒の家が密集している小さな集落であった。インド系の方がネイティブ系よりも家がカラフルな印象がある。自分がお世話になったのはお父さんとお母さん、15歳&11歳の2人の娘がいる家であった。前にアメリカのピースコ(アメリカの協力隊プログラム)が7週間滞在していたらしく、外国人の受け入れには慣れているようだった。お父さんの主な仕事は酪農らしく、集落の近くに牛を20頭ばかり放牧している。早朝と昼に搾乳を行っているらしく、朝は4時くらいから8時くらいまで働き、家に帰って一服し、また15時頃から搾乳を行っている。夜はカヴァを飲んでいるらしく、ネイティブ系のカヴァの飲み友もいるらしい。彼らによるとカヴァは本来ネイティヴ系の飲み物であったが、現在ではインド系の方が好きだということだ。ただインド系は形式にこだわらないのか、飲む前後に手は叩かない。搾乳は意外に難しく、試してみたが全然牛乳を採る事ができない。戦力外であった。

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 家の周りには菜園や鳥小屋があり、菜園ではタロやナスを主に栽培していた。鳥小屋ではニワトリやアヒルを合計40羽くらい飼育していた。菜園の管理や鳥小屋は奥さんと隣に住むおばあちゃんの仕事のようだ。しかし日曜日お父さんと子どもたちが鳥小屋の掃除をしていた。
 この家庭は村の中では中ぐらいであるようで、生活水準が高い家では車だけでなく家の横にクルーザーまであった。また子どもをアメリカやカナダに留学させてもいるようだ。自分の家の2人の娘は公立の学校に行っているが、裕福な家の子どもは教育レベルの更に高い私立の学校まで通わせているらしい。このように同じ集落でも格差が存在することをまじまじと思い知らされた。
 村に滞在中は家の子ども2人とほとんど遊んでいた。これまでインド系の女の子はあまり外で遊ばないイメージがあったが、彼女たちは別でサッカーやバレーをやりたがった。近くの家の体育隊員も含めてサッカーをやっていたがかなり動きが活発で驚いた。また近くの家の6‐7歳くらいの女の子が遊びに来て、カンフーごっこなどもやった。この子はかなりカンフーが好きらしく、終始攻撃されまくった。集落の子どもはなぜか大半が女の子で男の子はたった4人しかいないらしい。しかし近くの別の集落から男の子や大人がやって来て近くのグラウンドでサッカーをやっている。

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 幸運だったのが近くでヒンドゥー教の結婚式があり、出席させてもらえたことである。土曜日は夜に前夜祭に出席した。前夜祭では次の日の結婚式に備えて女性たちがお祈りなどをしていた。この前夜祭はエンドレスで続くらしく、23時くらいに帰って来た。次の日の式は11時からで4時くらいまで結婚式は行われた。
 結婚式が行われたのは花嫁の集落らしく、花婿側の親族が花嫁を迎えに来る形で行われた。後で知った事だが、結婚式が行われた家は花嫁の家ではなく、本当の花嫁の家は会場の近くの粗末な家らしい。そのため比較的裕福な人が家を会場として貸してくれたらしい。花婿の方はお金持ちらしく、親族は比較的洗礼されていたように見えた(自分の花婿の印象は悪かったが)。この結婚は家族が決めた事らしい(実際に現在は自由恋愛の方が多いらしいが)。
 11時くらいに花婿とその親族を乗せた車が会場にやって来て、花婿とその父親らしきひとはまずヒンドゥー教の司祭らしき人に会場に入るために身体を清める儀式を行ってもらう。その後、花嫁の親族から祝福を受けた後に、花嫁が登場して2時間ほどの儀式が司祭によって行われる。自分がカメラで写真を撮っていたら花嫁の親族の人に頼まれて結婚式の写真を撮るカメラマンに任命された。とりあえず親族からお墨付きを得たので儀式のかなり至近距離で写真を撮る事ができた。知らない人はなんで東洋人が式の周りをウロチョロしてんだろうか、と思っただろう。良かったのが最終的には家の中まで入ることができたことだ(半分強引に促されて)。まず関係のない外国人は入る事ができない。家の中でもお祈りなどが行われていた。最後は花嫁が親族に別れを告げる形となり、皆大泣きしていた。車が発進する時は周りの人がコインを投げて祝福していた。自分にとってはヒンドゥー教の結婚式に参加できたのはかなりラッキーであったと思う。

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 ホームステイ先では相変わらず子どもたちとサッカーをして遊んだり、ヒンドゥー映画(マイファミリーという映画を合計3回も見せられた)を観たり、おはじきとビリヤードが合体したようなゲームをしていた。ただやはり実感したのは自分がこの2年間で何をどこまでできるのかはまだ分からないが、ただ一つ間違いないのは自分が何かをやる以上に多くの人に何かをしてもらうことだ。ネイティブ系の家族にしろ、今回のインド系の家族にしろ、人との出会いはかなり面白い。一つ一つの出会いを大切にしていけるようにしたい。

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10 19
2010

フィジー 生活日記

フィジー生活④

10月14日(木)
 今日は朝にゆっくりとする時間があったので楽であったが、またどんよりとした天気であった。夕方までフィジー語を勉強して、その後はまた市場に買い物に行った。この日の買い物はリンゴと鶏肉。リンゴはスーパーのモノよりも市場の方が新鮮な感じがする。スーパーの野菜はハエがたかっている場合があり、あまり良い印象がない。それに比べて市場ではリンゴに定期的に水をかけているので新鮮なイメージがある。また日本のように太くはないが大根を見つけた。大根おろしが食べたくなり、即購入した。
 鶏肉は市場の近くのお肉屋さんで買った。日本では100g‐200gで買い物していたが、ここでは1kgぐらいからが単位であるようだ。100gなど頼むものなら嫌な顔をされるだけだ。お肉屋さんでは豚肉も売っていたので、今度豚カツなども作れそうだ。

10月15日(金)
 今日でフィジー語の授業は全て終わった。まだまだ全然会話にはならないが、ちょっとしたことなら言えることができるようになった。後は村での生活の中で身につけていくしかないようだ。
 最後にフィジーのちょっとした文化について講義を受けた。その中で一番面白かったのはネイティブフィジー人の結婚の話である。フィジーで重宝がられているものの中にタブアと呼ばれる鯨の歯がある。結婚をするためには、男性の家は10本のタブアを女性の家族に渡さなくてはならない。このタブアはかなり貴重なもので、その昔はこのタブアを戦士に渡すと代わりに戦士がその人の殺したい人を殺して来てくれたらしい。現在でもネイティブフィジー人が結婚する際は、このタブアを渡さなくてはならない。ただ最近ではお金を出せば一応買うことができるらしい。しかしそれでも一般家庭からしたら高額である。揃えるためには親戚を回り、タブアを出してもらうことも普通らしい。
 フィジーではひと昔前の日本の農村部で見られた伝統が今も色濃く残っている。これからフィジーの農村に本格的にはいって何が見つかるのか今からすごく楽しみである。とりあえず来週からはヒンドゥー語の勉強が始まる。また自己紹介からか。

10月16日(土)
 スバからバスで2時間半かけてコーラルコーストに行ってきた。コーラルコーストはナンディ国際空港からスバへバスで移動する間に通過する海の綺麗な海岸である。ここら辺一帯はシャングリラやインターコンチネンタルなど多くの有名ホテルが立ち並んでいるリゾート地である。最近のスバは雨ばかりで、今週スバで2日間休日を過ごすものならカビカビになりそうで、スバを脱出することにした。当初の予定は1泊2日でLeleuviaという海の綺麗な島に行こうとしていたが、最近皆疲労がためってきているみたいなので、日帰り旅行に切り替えた。ただし行ったのは4人だけであった。
 朝の7時半にドミトリーを出発してバス停で長距離バスに乗り込んだ。バスはボロく、坂を登るときにエンジン音ですごく頑張っているのがわかる。乗り心地はあまり良くなく、腰痛持ちの人には長時間の乗車は少し厳しいかもしれない。
 2時間半かけて目的地のコーラルコーストに到着した。下車したのはアウトリンガーという高いホテルの前。ここら辺のビーチはホテルのプライベートビーチが多いためどこで泳ごうかとうろうろしていたら、親切なおじさんがビーチまでの行き方を教えてくれた。確かにビーチにたどり着いたが、そこはアウトリンガーのプライベートビーチ。ただ何食わぬ顔で入って行き、荷物を置いて、水着に着替え、海へ入って行った。海はといえば…綺麗だ!!透明であり、サンゴの間を小さな魚が泳いでいる。遠浅なので溺れる心配もない。ただサンゴや岩で怪我する危険があるのでサンダルをはいて泳いだ。ただ失敗したなと思ったのは防水用のカメラを買えばよかったということ。せっかくなので海の中の写真も撮りたかった。

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 ホテルのお客の多くは西洋人であった。海で泳いで楽しんでいるというよりは海で過ごしているという感じであった。皆ゆったりと満喫しているようであった。こうして綺麗な海に来てみると、フィジーに来たのだと改めて実感してしまう。ただまだこれ以上の海はフィジーにはたくさんある。それを見つけるのも面白いように思う。
 その後ホテルで昼食を食べて、近くのクラエコパークへイグアナなどフィジーの動植物を見に行った。エコパークの中ではフィジーイグアナと戯れることができた。イグアナは柔らかく、ポニョポニョしていた。園内は思ったよりも広く、イグアナなどの爬虫類以外は鳥が多かった。

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 帰りはまたバスで帰ったが、予定時間になってもバスが来ない。45分待って、もう諦めて近くの町に移動しようかと思ったときにバスがやって来てなんとか乗る事ができた。

10 15
2010

フィジー 生活日記

フィジー生活③

10月13日(水)
 朝はフィジー語の授業を受けた後、昼からフィジーの博物館に行った。博物館は思っていたよりも大きく、昔の貿易などで使っていた船なども展示されていた。展示品の中には白檀もあった。白檀は中国人にとってはかなり貴重なもので、白檀で作られた棺の中で死ぬことが夢だとされたぐらいである。18世紀の欧米の対中国貿易の際に白檀は重宝とされた。インドネシアなど東南アジア圏で白檀の木は多くあったが、対中国貿易のためにほとんど伐採されてしまい、現在見つけるのは難しくなっている。
 他にもフィジー人が使っていた日常品、戦争用の武器等も展示されていたが、残念ながらカンニバル関係のモノはほとんどなかった。またインド人をプランテーション労働者としてフィジーに連れてきたことについて書かれている展示コーナーでは大きなフィジー人4人が真剣に見入っていた。ネイティブ系とインド系は普段は融和しているようだが政治的にはしこりが今も残っている。この4人はインド系に対して理解を示そうとしているように見えた。
 夕方は食材を買いにまたスバにある中央市場に行ってきた。ここには多くの野菜が売られているので毎回買い物が楽しい。この前はここでワラビを見つけた。また日本よりは細いが大根も売られており、大根おろしにすると甘くて美味しかった。今日は果物コーナーでブドウを見つけた。
 市場は2階建てのコンクリートの建物の中に入っており、1階は野菜や果物が売られている。2階は香辛料やヤンゴナが売られており、なぜかタマネギとジャガイモは2階で売られている。値札がちゃんと付いており、値切る事はできない。売り手の中にはネイティブ系、インド系の他に中国人も多くいる。1階の建物の中央部分のほとんどは中国人とインド系で占められており、ネイティブ系は隅の方で売っていることが多い。自分はできるだけネイティブ系から野菜を買うようにしている。しかし今日気付いたのだが、一番野菜の種類が豊富なのは中国人の店で次にインド系である。ネイティブ系の店で売られているものの多くはタロやキャッサバなどのイモ類やパパイヤやバナナ、ココナッツなどの木の実であった。野菜で売られているものはほとんどがナスビかレタス、トマトぐらいであった。これはネイティブ系の食文化の中にはあまりニンジンやキャベツなどの野菜が使われていないのか、それとも何か別の理由のためか分からないが、調べてみるのも面白そうだ。来週から一週間ほどかけて市場調査などを行いたいと思っている。
プロフィール

Teppei

Author:Teppei
2003年-2006年 都留文科大学で国際協力とスピードスケートに出会う
2006年4月 イギリスのCollege for International Cooperation and Developmentに半年間所属
2006年11月 マラウイのDevelopment AID from People to Peopleに半年間所属。農村を走り回る。
2007年 大学に戻る。
2008年 名古屋大のGSIDで農村開発を専攻
2010年 JOCVでフィジーの村落開発に関わる予定

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