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10 26
2010

フィジー 生活日記

インド系集落へのホームステイ

10月22日(金)
 ヒンドゥー語が終了した後、昼から日本大使館で大使館の職員の人にフィジーについて個人的に話を聞く時間を作ってもらった。話によるとフィジーの財政状態はあまり芳しくないらしい。IMFからの資金貸し付けの話もあるらしいが、軍事独裁政権(普通に暮らしているだけだと全く感じない)のために資金貸し付けのためのいくつかの条件を履行できずIMFが貸し付けを渋っているのが現状である。日本もIMFの決定に従って、現在フィジーにおいては協力隊事業以外では気候変動などの環境面の援助と津波などの緊急支援の2つに限定している。しかしフィジー周辺の有力国が対フィジー支援に消極的な中で存在感を示しているのが中国らしい。中国は援助事業に関して説明責任を持たないので、こうした軍事独裁など関係なく援助を行っている。アフリカでもアンゴラなどの独裁政権に資源の優先利用を条件に援助を行っている。現在、日本をはじめオーストラリアやアメリカなども中国のこうした動きに危機感を募らせている。
 また気候面でもフィジーも異常な状態が起こっているらしい。スバでは日本の台風級の豪雨が一日中降っている。雨季も今までよりも多いらしい。しかしその反面、北部や西部では降水量が減少し、干ばつ起こっているらしい。自分の行く地域も水の面でもしかしたら大きな問題に直面するかもしれない。

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10月23日(土)、24日(日)、25日(月)
 朝は土曜日の市場がどのようなものかを見たくてスバの町まで歩いていった。人や車は平日よりも少なかったが、市場の周りは平日以上の活気があった。市場の建物から大きくはみ出して多くの人が野菜や魚介類を売っていた。面白いのは普段はあまり見ない、カニやエビ、タコが大量に売られていたことだ。エビやカニはおそらくマングローブで獲れたものであろう。土曜日はどうやらスバ周辺の農村から主にネイティブフィジー人の人が野菜や魚介類を売りに来る日らしい。足の踏み場がないくらいに野菜などが置かれ、市場には普段以上の活気があった。大きなエビを4匹買ってドミに帰ってニンニクと一緒に炒めたがかなり美味かった。
 そして何より良かったのが市場でフィジアン村にホームステイした時のお母さんと娘に再会したことだ。モニ村の人たち何人かと一緒に来たみたいで自分との再会をかなり喜んでくれた。お母さんが売っていたのは大きなパパイヤとトウガラシのみで、場所は他の村人と離れて売っていた。とりあえずパパイヤとトウガラシを購入したが、お金を受け取るのを強く拒むお母さんにお金を渡すのは大変であった。どうやら毎週土曜日にここに来ているみたいなので、来週の土曜日にもし予定が入っていないようならもっと早い時間に来て、何か手伝いたいと思う。
 さてここからが本題で、昼からインド系の村へ2泊3日のホームステイに行って来た。正確には村と言うよりは集落と言った方がよく、わずか12軒の家が密集している小さな集落であった。インド系の方がネイティブ系よりも家がカラフルな印象がある。自分がお世話になったのはお父さんとお母さん、15歳&11歳の2人の娘がいる家であった。前にアメリカのピースコ(アメリカの協力隊プログラム)が7週間滞在していたらしく、外国人の受け入れには慣れているようだった。お父さんの主な仕事は酪農らしく、集落の近くに牛を20頭ばかり放牧している。早朝と昼に搾乳を行っているらしく、朝は4時くらいから8時くらいまで働き、家に帰って一服し、また15時頃から搾乳を行っている。夜はカヴァを飲んでいるらしく、ネイティブ系のカヴァの飲み友もいるらしい。彼らによるとカヴァは本来ネイティヴ系の飲み物であったが、現在ではインド系の方が好きだということだ。ただインド系は形式にこだわらないのか、飲む前後に手は叩かない。搾乳は意外に難しく、試してみたが全然牛乳を採る事ができない。戦力外であった。

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 家の周りには菜園や鳥小屋があり、菜園ではタロやナスを主に栽培していた。鳥小屋ではニワトリやアヒルを合計40羽くらい飼育していた。菜園の管理や鳥小屋は奥さんと隣に住むおばあちゃんの仕事のようだ。しかし日曜日お父さんと子どもたちが鳥小屋の掃除をしていた。
 この家庭は村の中では中ぐらいであるようで、生活水準が高い家では車だけでなく家の横にクルーザーまであった。また子どもをアメリカやカナダに留学させてもいるようだ。自分の家の2人の娘は公立の学校に行っているが、裕福な家の子どもは教育レベルの更に高い私立の学校まで通わせているらしい。このように同じ集落でも格差が存在することをまじまじと思い知らされた。
 村に滞在中は家の子ども2人とほとんど遊んでいた。これまでインド系の女の子はあまり外で遊ばないイメージがあったが、彼女たちは別でサッカーやバレーをやりたがった。近くの家の体育隊員も含めてサッカーをやっていたがかなり動きが活発で驚いた。また近くの家の6‐7歳くらいの女の子が遊びに来て、カンフーごっこなどもやった。この子はかなりカンフーが好きらしく、終始攻撃されまくった。集落の子どもはなぜか大半が女の子で男の子はたった4人しかいないらしい。しかし近くの別の集落から男の子や大人がやって来て近くのグラウンドでサッカーをやっている。

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 幸運だったのが近くでヒンドゥー教の結婚式があり、出席させてもらえたことである。土曜日は夜に前夜祭に出席した。前夜祭では次の日の結婚式に備えて女性たちがお祈りなどをしていた。この前夜祭はエンドレスで続くらしく、23時くらいに帰って来た。次の日の式は11時からで4時くらいまで結婚式は行われた。
 結婚式が行われたのは花嫁の集落らしく、花婿側の親族が花嫁を迎えに来る形で行われた。後で知った事だが、結婚式が行われた家は花嫁の家ではなく、本当の花嫁の家は会場の近くの粗末な家らしい。そのため比較的裕福な人が家を会場として貸してくれたらしい。花婿の方はお金持ちらしく、親族は比較的洗礼されていたように見えた(自分の花婿の印象は悪かったが)。この結婚は家族が決めた事らしい(実際に現在は自由恋愛の方が多いらしいが)。
 11時くらいに花婿とその親族を乗せた車が会場にやって来て、花婿とその父親らしきひとはまずヒンドゥー教の司祭らしき人に会場に入るために身体を清める儀式を行ってもらう。その後、花嫁の親族から祝福を受けた後に、花嫁が登場して2時間ほどの儀式が司祭によって行われる。自分がカメラで写真を撮っていたら花嫁の親族の人に頼まれて結婚式の写真を撮るカメラマンに任命された。とりあえず親族からお墨付きを得たので儀式のかなり至近距離で写真を撮る事ができた。知らない人はなんで東洋人が式の周りをウロチョロしてんだろうか、と思っただろう。良かったのが最終的には家の中まで入ることができたことだ(半分強引に促されて)。まず関係のない外国人は入る事ができない。家の中でもお祈りなどが行われていた。最後は花嫁が親族に別れを告げる形となり、皆大泣きしていた。車が発進する時は周りの人がコインを投げて祝福していた。自分にとってはヒンドゥー教の結婚式に参加できたのはかなりラッキーであったと思う。

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 ホームステイ先では相変わらず子どもたちとサッカーをして遊んだり、ヒンドゥー映画(マイファミリーという映画を合計3回も見せられた)を観たり、おはじきとビリヤードが合体したようなゲームをしていた。ただやはり実感したのは自分がこの2年間で何をどこまでできるのかはまだ分からないが、ただ一つ間違いないのは自分が何かをやる以上に多くの人に何かをしてもらうことだ。ネイティブ系の家族にしろ、今回のインド系の家族にしろ、人との出会いはかなり面白い。一つ一つの出会いを大切にしていけるようにしたい。

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プロフィール

Teppei

Author:Teppei
2003年-2006年 都留文科大学で国際協力とスピードスケートに出会う
2006年4月 イギリスのCollege for International Cooperation and Developmentに半年間所属
2006年11月 マラウイのDevelopment AID from People to Peopleに半年間所属。農村を走り回る。
2007年 大学に戻る。
2008年 名古屋大のGSIDで農村開発を専攻
2010年 JOCVでフィジーの村落開発に関わる予定

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