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11 27
2010

フィジー 生活日記

11月の活動を振り返って

やっと首都に上がって来て更新することができた。11月はまだ活動が始まって一カ月しか経っておらず、まだ特に何も始まっていないのが現状だ。ただ村の生活には慣れてきて、だいぶ人の顔も覚えてきた。朝6時に起きて、6‐8,9時くらいまで農作業をし、10時くらいから各家でインタビューをして、16時-18時くらいまでタッチラグビーを近くのセカンダリースクールのグラウンドで行い、そして家に帰って夕飯を食べて寝るのが日課になりそうだ。村の生活で不便なこともいろいろあるがそれほど気にはならない。
 11月にやったことは村の行事(ミーティング、お葬式、卒業式)に参加したこと、各家を回ってのインタビュー調査(計画よりも大幅に遅れている)、そして村プロジェクトのお手伝い(オクラの収穫)であった。
 さて村プロジェクトとはタタ(ホームステイ先のお父さん)が先頭に立って行っているプロジェクトで、目標は村の貧困削減らしい。プロジェクトで上がった利益は①村、②教会、③各マタンガリ(血縁一族みたいなもの)に還元するらしい。①の村に関しては更にa)村の教育、b)女性クラブ、c)保健、d)水の供給、に資金を充てる考えである。貧困削減という目標は置いておいてもなかなか面白いプロジェクトである。また活動としては第1期オクラ栽培、第2期はパパイヤ栽培、第3期は養蜂、第4期は淡水魚の養殖、第5期は羊の飼育が予定されている。オクラは思った以上の成果を上げ、2ヶ月でF$800稼ぐことができている。
 だがプロジェクトの一番の問題点はタタがワンマンでどんどん勝手にやっていき、後ろがついて来ていないことである。自分の頭だけでどんどん考え行動に移している。行動力は感心するほどあるが、周りを巻き込むのが下手くそである。農村で新しいことを始めようとすると後ろ指を差されることはよくあると聞く。タタもまた然りであり、少し人間不信に陥っている感がある。自分は村のためのやっているのだ、と言っているが周りから見ると押しつけがましいと感じられる。もっと個人的に働きかければいいのに自分のやることをやって後は待っているだけになっているのが現状だ。
 自分がプロジェクトの目標を他の村人と共有できていないのではないかと尋ねると、「お前は俺を(オクラを売った資金を自分のために使っていると)疑っているのか」や「あいつらは目標を知っていて、わざと知らないふりをしているだけだ」と喧嘩になってしまった。また間が悪いことに、その日にタタが嫌っている人物の家で3時間話込んでいたのが気に食わなかったみたいで、「お前はそこで何を話していたんだ」、「俺を貶めようとしているのではないか」と言われる始末。これには自分も少しキレて、最後には「ここから出ていけ」と言われてしまった。その後冷静に話し合った結果、誤解は解けたが、村の人間関係やタタの人間的脆さを実感することができた。ただもう一度ミーティングでプロジェクトの説明とその目標の共有をしてくれというお願いは聞いてくれ、次の日の村全体のミーティングではやってくれた。喧嘩はしたが、結果としては良かったと思う。ただだからと言ってこのまま上手くいくとは到底思えない。今後おそらくまた対立することはあるだろう。それでホームステイ先を追い出されても仕方ないと思っている。村を追い出されたわけではないし、泊まるところは自分で何とかすればいい。ただ次に対立するまでにタタとはちゃんとした信頼関係を作り上げておく必要がある。それなしでは向こうもこちらの言うことはちゃんと聞いてくれないだろう。今回の喧嘩に関しては自分にも安易な点があった。そこはちゃんと反省しておく必要がある。ただやっと村落らしくなってきた。意見の対立からの激論は決して避けては通れない。いや避けられるが、引いてはいけない場面もある。果たして2年間の間に何が待ち受けていることやら。
 また魚の養殖に関して漁業事務所の職員が村を訪れた際に、ミーティングでJICAなどからお金を引っ張って来られないかと言われた。それはやり方によっては可能であるが、そう簡単に引っ張って来る気などさらさらない。じっくりと一つ一つの問題をクリアした後に行動に起こそうかと思う。これから半年間は下調べをする期間になりそうだ。とりあえず調べたいこと、やりたいことが多すぎて追いつかない今日この頃。

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11 10
2010

未分類

フィジー生活 ⑦

遂に研修が終わり、任地に赴く日がやって来た。ここまでの道のりは長かった気がする。任地のラ県はスバから北へ3‐4時間行ったところにある県で、フィジーの中でも開発が遅れた地域だと言われている。ラ県まではキングスロードという道で行くのだが、観光の中心地であるナンディ-スバ間のクイーンズロードと違って整備が遅れている。現在は昔と比べる大分良くなったみたいだが、途中泥道や木のいかにも落ちそうな橋を進んでいかねばならない。工事は昔から行われていたらしいが、大幅に遅れているのが現状である。途中に木の橋があるといったが現在中国政府がコンクリートの橋をかける計画を立てているらしい。小さな橋一本なのでそんなに金はかからないが、この橋一本建てるだけでスバ-ラキラキ間の交通の安全性がかなり高まるのは間違いない。中国のODAは国の規模に比べれば大きくないと言われているが、援助がかなりピンポイントであると言われている。日本政府はフィジーに対しては現在ガバナンスの問題からインフラ整備の援助は止めている。また日本のODA予算は現在減少傾向にあるのも考慮すると、日本は中国に対外政策で大きく後れをとっているように感じた。
 さてラ県へは調整員の方と村落開発3人で向かった。1人は6カ月前から赴任しており、すでに自分の村で活動を始めている。いくつかは参考にさせてもらおうと思っている。もう1人はマラケ島というラキラキの町に近い島に赴任する隊員である。フィジーの隊員はシニアも含めて45人近くいるが、農村部に赴任するのはこの3人だけである。さて自分の赴任するマタワイレヴ村は景色の良い村であった。人口が話によると200人くらいらしい。主な産業は農業であるらしい。自分のホームステイ先の家はベランダがかなり広い家であった。ただ自分の部屋は4畳くらいと非常に小さく、ベッドと机、椅子しかない。壁には横の部屋との間に窓があり、カーテンで仕切っただけで、ほとんどプライバシーはないと言ってもいい。まぁ自分は特に気にならないが。ここで数日過ごしてみて結構自分は環境適応能力がある方ではないかと思った。ただ蚊だけはめんどくさい。
 問題は赴任した時に聞いたのだが、ホームステイ先のご主人が先週に亡くなったということだ。フィジーでは亡くなってから10日間は故人を偲ぶために親戚が集まるらしく、現在家には多くの親戚の人が滞在している。こんな時に赴任して良かったのか不安になりながらも、温かく受け入れてくれた人達に感謝するしかない。
 ただ自分の面倒は亡くなったご主人のお兄さんが見てくれている。彼は72歳でありながら、背が高く体ががっしりしており、チェーンソーを担いで木々が生い茂る森の中を進んでいく力強い人である。昔はナンディの国際空港で働いていたらしいが、現在は退職してラウトカに家を持っている。しかし自分の故郷の村の開発ワーカーとして村にやって来てボランティアとして活動している。具体的には家庭菜園以外にコミュニティー菜園を作って、そこで収穫した野菜を市場で売って村の基金にしている。この菜園は全額自腹らしい。また菜園で働いているのはこのお兄さん(お兄さんといっても72歳なので、今後はタタと呼ぶ)とその家族、あとは近所の子どもくらいであるようだ。タタは一生懸命働いているが、他のフィジー人は働かないと文句を言っていた。コミュニティー菜園と言っているが、どちらかといえば彼の畑になっており、独り相撲になっている感がある。ただ彼の思いはすごいと思うので自分もこれからコミュニティー菜園で働くことにした。赴任2日目は菜園で草ぬき、3日目の朝はオクラの収穫を手伝った。今日スバに用事があって上がってきたのだが、スバで長靴や手袋、野菜の種を買って、自分もこれから何か育てようと思う。最初はおそらく失敗するが、最終的には売れる段階まで持っていきたい。
 とりあえず自分の居場所はなんとか一つ確保することができた。日本人は自分の役割がないと不安に感じることが多いのではないかと思う。何もやることがない時に働く場所と自分の役割をこんなに早く見つけることができたのはかなり大きいと思う。思えばマラウイではそれをなかなか見つけることができなかった。そのため自分がそこにいる意味について何度も考えたものだ。このコミュニティー菜園を拠点にして活動を広げていければと思う。日課として早朝と夕方にコミュニティー菜園で働けば良いかなと思っている。また野菜の種もいくつか買ったので、ぜひ自分で育ててみたい。
プロフィール

Teppei

Author:Teppei
2003年-2006年 都留文科大学で国際協力とスピードスケートに出会う
2006年4月 イギリスのCollege for International Cooperation and Developmentに半年間所属
2006年11月 マラウイのDevelopment AID from People to Peopleに半年間所属。農村を走り回る。
2007年 大学に戻る。
2008年 名古屋大のGSIDで農村開発を専攻
2010年 JOCVでフィジーの村落開発に関わる予定

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