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10 31
2010

フィジー 生活日記

フィジー生活⑥

10月28日(木)、29日(金)、30(土)、31(日)
 木曜日はシニア隊員の方たちも含めて同期全員が久しぶりにそろってドミで晩餐会を開いた。久しぶりに豚カツやちらし寿司を作ってみた。このメンバーでそろって飲むのも次は1月の隊員総会の時だ。
 29日の朝にはバヌアレヴ島やラウトカなど各メンバーが続々と旅立っていった。これから活動が始まるというのに何かさびしい気がした。昼には買い物に行った。ハンディクラフトセンターで土産用だとは思うが音が意外としっかりした太鼓を見つけたので即購入した。おじさんは気を良くしたのか、ブレスレットまでプレゼントしてくれた。また別の店では入っただけで亀の木彫りをくれる始末。買わないといけない雰囲気の中、頑張って逃げてきました。夜は残ったメンバーで韓国料理屋に行き、やっとプルコギを食べることができた。
 30日にはスバ隊員が引っ越しをして、残ったのはついに村落の2人だけ。夜には先輩隊員がフィジーのナショナル野球チームの遠征費を稼ぐために企画したハロウィンパーティーに出る。仮装は強制ではなかったがトイレットペーパーを体中に巻いてマミーに変身。巻くのを手伝ってくれたのはトイレで出会ったフィジーのラグビーのナショナルチームのメンバー。マミーはフィジー人にも結構好評で喜んでもらえた。しかも仮装コンテストでみごと優勝。商品としてワインを2本もらう。ただ食事なしで飲んでいたので転倒してしまい頭を打ってしまった。次の日の朝、鏡を見るとおでこにアザが残っていた。

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 31日はおとなしくする気もなく、ボールを持って見つけたバスケットコートまで行った。昼は買い物に出かけたが、キャッシュカードの暗証番号を3回間違ってしまいカードが機械の中に吸い込まれていった。取り出すためには本店に行かねばならないが、平日は閉っている。明日は朝早くに出発するので銀行に行くことができない。結局木曜日にスバに帰ってくるしかなくなった。いきなり躓くって感じになってしまった。
 さていよいよ明日からが本格的に活動が開始される。自分が本当に国際協力という舞台でやっていくことができるのかどうかここからわかってくるだろう。大学院で学んだこと、マラウイやインドネシアでの経験をどこまで生かすことができるのか。そしてこの2年間で自分がどれだけ成長できるのか。さてここからがはじまりはじまり。
明日以降はネットが基本的に使えないのでブログの更新はほとんど出来ないと思います。スバに来た時に一気に更新したいと思います。
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10 28
2010

フィジー 生活日記

今後…②

11月27日(水)
 ヒンドゥーの授業がやっと終わった。これで一カ月の研修もようやく終了した。明日のブリーフィングが終わった後、明後日から9人のメンバーがそれぞれ任地に派遣される。自分は首都からバスで3‐4時間の村に派遣されるので首都に来るのはそれほど難しくはない。ただ他の島に行くメンバーは船では一日近くかかるし、飛行機も高いのであまり今後会う機会は少ないだろう。明日の晩はシニアの人も含めてパーティーをドミトリーで開くことになった。
 自分はと言えば特に用意するものはない。行けば行ったなりにどんな生活もすると考えているのであまり任地でのことは気にしていない。それよりも任地で何から始めようかとここ最近考えている。来週の頭からの向こうの事務所での話合いで決めようとも考えているが、現在の計画はとりあえず11月中は村の全世帯の家を訪れて挨拶を含めてどのような人が住んで、どのような状態なのかを知るところから始めようと思う。夜のカヴァの飲み会にもできるだけ参加して顔を売っていきたい。
10 27
2010

フィジー 生活日記

今後は

11月26日(火)
 ホームステイから帰って来た後も今日・明日とヒンディー語の勉強は続いている。あまりテンションが上がらない。
 今日、調整員の人から来週の予定について説明を受けた。予定はほぼ未定の状態であるが、まぁこんなもんだろうと思っていたので特に気にもならなかった。とりあえず来週の月曜日から任地の方に行くことが決まったのと、2日以上は現地事務所でフィジーの農村についての簡単な説明を受けることになるそうだ。本格的に動き出すのは再来週からになりそうである。ただ来週の金曜日はヒンドゥー教の大きなお祭りの日らしく、昨日のホームステイの家族が遊びに来いと言ってくれ、ぜひお祭りを見てみたい。ただどうなるかは誰も知らない状態であるだろう。
 ただこの予定だと今週末は暇になる予定だ。もちろん赴任前の準備もあるがそこまで用意して持って行きたいものも少ない。土日のどちらかでも何か予定を入れたい。さて候補としては①オイスカの農業研修所の見学に行く、②スバでゆっくりと準備、③12時間かけてビチレブ島を一周する、④その他…。
10 26
2010

フィジー 生活日記

インド系集落へのホームステイ

10月22日(金)
 ヒンドゥー語が終了した後、昼から日本大使館で大使館の職員の人にフィジーについて個人的に話を聞く時間を作ってもらった。話によるとフィジーの財政状態はあまり芳しくないらしい。IMFからの資金貸し付けの話もあるらしいが、軍事独裁政権(普通に暮らしているだけだと全く感じない)のために資金貸し付けのためのいくつかの条件を履行できずIMFが貸し付けを渋っているのが現状である。日本もIMFの決定に従って、現在フィジーにおいては協力隊事業以外では気候変動などの環境面の援助と津波などの緊急支援の2つに限定している。しかしフィジー周辺の有力国が対フィジー支援に消極的な中で存在感を示しているのが中国らしい。中国は援助事業に関して説明責任を持たないので、こうした軍事独裁など関係なく援助を行っている。アフリカでもアンゴラなどの独裁政権に資源の優先利用を条件に援助を行っている。現在、日本をはじめオーストラリアやアメリカなども中国のこうした動きに危機感を募らせている。
 また気候面でもフィジーも異常な状態が起こっているらしい。スバでは日本の台風級の豪雨が一日中降っている。雨季も今までよりも多いらしい。しかしその反面、北部や西部では降水量が減少し、干ばつ起こっているらしい。自分の行く地域も水の面でもしかしたら大きな問題に直面するかもしれない。

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10月23日(土)、24日(日)、25日(月)
 朝は土曜日の市場がどのようなものかを見たくてスバの町まで歩いていった。人や車は平日よりも少なかったが、市場の周りは平日以上の活気があった。市場の建物から大きくはみ出して多くの人が野菜や魚介類を売っていた。面白いのは普段はあまり見ない、カニやエビ、タコが大量に売られていたことだ。エビやカニはおそらくマングローブで獲れたものであろう。土曜日はどうやらスバ周辺の農村から主にネイティブフィジー人の人が野菜や魚介類を売りに来る日らしい。足の踏み場がないくらいに野菜などが置かれ、市場には普段以上の活気があった。大きなエビを4匹買ってドミに帰ってニンニクと一緒に炒めたがかなり美味かった。
 そして何より良かったのが市場でフィジアン村にホームステイした時のお母さんと娘に再会したことだ。モニ村の人たち何人かと一緒に来たみたいで自分との再会をかなり喜んでくれた。お母さんが売っていたのは大きなパパイヤとトウガラシのみで、場所は他の村人と離れて売っていた。とりあえずパパイヤとトウガラシを購入したが、お金を受け取るのを強く拒むお母さんにお金を渡すのは大変であった。どうやら毎週土曜日にここに来ているみたいなので、来週の土曜日にもし予定が入っていないようならもっと早い時間に来て、何か手伝いたいと思う。
 さてここからが本題で、昼からインド系の村へ2泊3日のホームステイに行って来た。正確には村と言うよりは集落と言った方がよく、わずか12軒の家が密集している小さな集落であった。インド系の方がネイティブ系よりも家がカラフルな印象がある。自分がお世話になったのはお父さんとお母さん、15歳&11歳の2人の娘がいる家であった。前にアメリカのピースコ(アメリカの協力隊プログラム)が7週間滞在していたらしく、外国人の受け入れには慣れているようだった。お父さんの主な仕事は酪農らしく、集落の近くに牛を20頭ばかり放牧している。早朝と昼に搾乳を行っているらしく、朝は4時くらいから8時くらいまで働き、家に帰って一服し、また15時頃から搾乳を行っている。夜はカヴァを飲んでいるらしく、ネイティブ系のカヴァの飲み友もいるらしい。彼らによるとカヴァは本来ネイティヴ系の飲み物であったが、現在ではインド系の方が好きだということだ。ただインド系は形式にこだわらないのか、飲む前後に手は叩かない。搾乳は意外に難しく、試してみたが全然牛乳を採る事ができない。戦力外であった。

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 家の周りには菜園や鳥小屋があり、菜園ではタロやナスを主に栽培していた。鳥小屋ではニワトリやアヒルを合計40羽くらい飼育していた。菜園の管理や鳥小屋は奥さんと隣に住むおばあちゃんの仕事のようだ。しかし日曜日お父さんと子どもたちが鳥小屋の掃除をしていた。
 この家庭は村の中では中ぐらいであるようで、生活水準が高い家では車だけでなく家の横にクルーザーまであった。また子どもをアメリカやカナダに留学させてもいるようだ。自分の家の2人の娘は公立の学校に行っているが、裕福な家の子どもは教育レベルの更に高い私立の学校まで通わせているらしい。このように同じ集落でも格差が存在することをまじまじと思い知らされた。
 村に滞在中は家の子ども2人とほとんど遊んでいた。これまでインド系の女の子はあまり外で遊ばないイメージがあったが、彼女たちは別でサッカーやバレーをやりたがった。近くの家の体育隊員も含めてサッカーをやっていたがかなり動きが活発で驚いた。また近くの家の6‐7歳くらいの女の子が遊びに来て、カンフーごっこなどもやった。この子はかなりカンフーが好きらしく、終始攻撃されまくった。集落の子どもはなぜか大半が女の子で男の子はたった4人しかいないらしい。しかし近くの別の集落から男の子や大人がやって来て近くのグラウンドでサッカーをやっている。

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 幸運だったのが近くでヒンドゥー教の結婚式があり、出席させてもらえたことである。土曜日は夜に前夜祭に出席した。前夜祭では次の日の結婚式に備えて女性たちがお祈りなどをしていた。この前夜祭はエンドレスで続くらしく、23時くらいに帰って来た。次の日の式は11時からで4時くらいまで結婚式は行われた。
 結婚式が行われたのは花嫁の集落らしく、花婿側の親族が花嫁を迎えに来る形で行われた。後で知った事だが、結婚式が行われた家は花嫁の家ではなく、本当の花嫁の家は会場の近くの粗末な家らしい。そのため比較的裕福な人が家を会場として貸してくれたらしい。花婿の方はお金持ちらしく、親族は比較的洗礼されていたように見えた(自分の花婿の印象は悪かったが)。この結婚は家族が決めた事らしい(実際に現在は自由恋愛の方が多いらしいが)。
 11時くらいに花婿とその親族を乗せた車が会場にやって来て、花婿とその父親らしきひとはまずヒンドゥー教の司祭らしき人に会場に入るために身体を清める儀式を行ってもらう。その後、花嫁の親族から祝福を受けた後に、花嫁が登場して2時間ほどの儀式が司祭によって行われる。自分がカメラで写真を撮っていたら花嫁の親族の人に頼まれて結婚式の写真を撮るカメラマンに任命された。とりあえず親族からお墨付きを得たので儀式のかなり至近距離で写真を撮る事ができた。知らない人はなんで東洋人が式の周りをウロチョロしてんだろうか、と思っただろう。良かったのが最終的には家の中まで入ることができたことだ(半分強引に促されて)。まず関係のない外国人は入る事ができない。家の中でもお祈りなどが行われていた。最後は花嫁が親族に別れを告げる形となり、皆大泣きしていた。車が発進する時は周りの人がコインを投げて祝福していた。自分にとってはヒンドゥー教の結婚式に参加できたのはかなりラッキーであったと思う。

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 ホームステイ先では相変わらず子どもたちとサッカーをして遊んだり、ヒンドゥー映画(マイファミリーという映画を合計3回も見せられた)を観たり、おはじきとビリヤードが合体したようなゲームをしていた。ただやはり実感したのは自分がこの2年間で何をどこまでできるのかはまだ分からないが、ただ一つ間違いないのは自分が何かをやる以上に多くの人に何かをしてもらうことだ。ネイティブ系の家族にしろ、今回のインド系の家族にしろ、人との出会いはかなり面白い。一つ一つの出会いを大切にしていけるようにしたい。

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10 22
2010

未分類

フィジー生活⑤

10月18日(月)
 今日から1週間半のヒンドゥー語の講義が始まった。週末にはインド系の家でのホームステイが控えている。ヒンドゥー語の文型は日本語と同じSOVであり、主語の省略などもできるので日本語にかなり近い。しかし外国語の学習でSVOの文型に慣れてしまっていたので馴染むことができない。また発音が難しく、微妙な違いが全くわからない。何よりヒンドゥー語を勉強するモチベーションが全く湧いてこない。村ではインド系はいないために基本的には使わない。もっとフィジー語を勉強したいような気がする。
 さてフィジーに関して良く言われていることに、タロイモやキャッサバみたいな簡単に栽培できる根栽類の食糧があるためにフィジー人はあまり働かない、ということがある。それは果たして本当なのかどうかは今後の2年で分かってくると思う。しかしこの前、村に行ってみてフィジー人の家にホームステイしたが、多くの家でテレビや冷蔵庫があったという。ある家では車なども所有していた。これらの電化製品は日本と比べると価格は高い。またフィジー人の平均収入(7‐8万ぐらい?)から見ても安くはない。しかし購入しているということは現金収入があるということだ。村のフィジー人の中には朝から夜まで養鶏をやっている働き者の人もいたらしい。また多くの人がある時期にサトウキビのプランテーションへ出稼ぎに行くと聞いたことがある。村に入るとまずフィジー人にとって働くということはどういうことか、お金の使い道はどんなものかについて調べる必要がありそうだ。
 日本でもだが稲作には大量の労働力を投入する必要がある。特に水稲稲作を行うためには水の管理や農機具の管理などコストも時間も手間もかかる。しかし所有している土地が小さければどんなに頑張っても自家消費で終わってしまう場合もある。フィジー人がタロやキャッサバを主食として選択したのはもしかしたら彼らにとっては合理的であったのかもしれない。しかし余暇を果たしてどのように使っているのかはまだわからない。それを理解することなくフィジー人が働かないなど言えないだろう。

10月19日(火)
 相変わらずヒンドゥー語を勉強する。頭に入らない。
 今日は同期のメンバーがドミトリーで誕生日を祝ってくれた。プレゼントは変なTシャツと変なキャラクターのネクタイであった。誕生日のケーキは町のパン屋さんで買ってきたらしいが、青いクリームがかなり印象的であった。味は…。

10月20日(水)
 相変わらずヒンドゥー語の授業。楽しくなく、苦痛を感じる。
 町で味ポンを見つける。

10月21日(木)
 ヒンドゥー語に全く集中できない。困った。困った。
 スバの町にも慣れてきた(飽きてきてた)。スバは買い物するところはいろいろあるが、ここでの生活は日本の生活と大して変わらない。唯一面白いのは野菜市場くらいである。
 スバはフィジーの首都で大きいといっても大した大きさではない。他の町が小さすぎるのだ。町にはいくつかのショッピングセンターや映画館などもある。食糧もお金さえ出せば日本食を作るのに最低限必要な材料は揃う。小さい町であるが交通量はあり、信号などが少ないために道路を渡るのはちょっと危ない。車は町中ではゆっくり走っているが、歩行者優先ではないので、運転手は人を轢くのも覚悟して運転しているような錯覚に陥る。おそらく勇気ある人が優先なのだろう。
 スバの町で良く見かけるのはネイティヴフィジー人とインド系であるが、中国人も多く滞在している。ショップのオーナーの多くは他の国と同様にインド系か中国人である。スバで一番頭のいい高校(中学?)も中国系の学校で、下校時には町で中国人の子どもを多くみかけることがある。アフリカの国と違うのは町を歩いていても「チェンチェン」や「チナ」と言われないことだ。しかし聞くところによると中国人のイメージはフィジーでもそこまで良くないらしい。
 この日の夜はシニアの方の家で御馳走になった。フィジーは肉が安く、ステーキを食べまくった。大根おろしにワサビ、ポン酢で最高であった。
10 19
2010

フィジー 生活日記

フィジー生活④

10月14日(木)
 今日は朝にゆっくりとする時間があったので楽であったが、またどんよりとした天気であった。夕方までフィジー語を勉強して、その後はまた市場に買い物に行った。この日の買い物はリンゴと鶏肉。リンゴはスーパーのモノよりも市場の方が新鮮な感じがする。スーパーの野菜はハエがたかっている場合があり、あまり良い印象がない。それに比べて市場ではリンゴに定期的に水をかけているので新鮮なイメージがある。また日本のように太くはないが大根を見つけた。大根おろしが食べたくなり、即購入した。
 鶏肉は市場の近くのお肉屋さんで買った。日本では100g‐200gで買い物していたが、ここでは1kgぐらいからが単位であるようだ。100gなど頼むものなら嫌な顔をされるだけだ。お肉屋さんでは豚肉も売っていたので、今度豚カツなども作れそうだ。

10月15日(金)
 今日でフィジー語の授業は全て終わった。まだまだ全然会話にはならないが、ちょっとしたことなら言えることができるようになった。後は村での生活の中で身につけていくしかないようだ。
 最後にフィジーのちょっとした文化について講義を受けた。その中で一番面白かったのはネイティブフィジー人の結婚の話である。フィジーで重宝がられているものの中にタブアと呼ばれる鯨の歯がある。結婚をするためには、男性の家は10本のタブアを女性の家族に渡さなくてはならない。このタブアはかなり貴重なもので、その昔はこのタブアを戦士に渡すと代わりに戦士がその人の殺したい人を殺して来てくれたらしい。現在でもネイティブフィジー人が結婚する際は、このタブアを渡さなくてはならない。ただ最近ではお金を出せば一応買うことができるらしい。しかしそれでも一般家庭からしたら高額である。揃えるためには親戚を回り、タブアを出してもらうことも普通らしい。
 フィジーではひと昔前の日本の農村部で見られた伝統が今も色濃く残っている。これからフィジーの農村に本格的にはいって何が見つかるのか今からすごく楽しみである。とりあえず来週からはヒンドゥー語の勉強が始まる。また自己紹介からか。

10月16日(土)
 スバからバスで2時間半かけてコーラルコーストに行ってきた。コーラルコーストはナンディ国際空港からスバへバスで移動する間に通過する海の綺麗な海岸である。ここら辺一帯はシャングリラやインターコンチネンタルなど多くの有名ホテルが立ち並んでいるリゾート地である。最近のスバは雨ばかりで、今週スバで2日間休日を過ごすものならカビカビになりそうで、スバを脱出することにした。当初の予定は1泊2日でLeleuviaという海の綺麗な島に行こうとしていたが、最近皆疲労がためってきているみたいなので、日帰り旅行に切り替えた。ただし行ったのは4人だけであった。
 朝の7時半にドミトリーを出発してバス停で長距離バスに乗り込んだ。バスはボロく、坂を登るときにエンジン音ですごく頑張っているのがわかる。乗り心地はあまり良くなく、腰痛持ちの人には長時間の乗車は少し厳しいかもしれない。
 2時間半かけて目的地のコーラルコーストに到着した。下車したのはアウトリンガーという高いホテルの前。ここら辺のビーチはホテルのプライベートビーチが多いためどこで泳ごうかとうろうろしていたら、親切なおじさんがビーチまでの行き方を教えてくれた。確かにビーチにたどり着いたが、そこはアウトリンガーのプライベートビーチ。ただ何食わぬ顔で入って行き、荷物を置いて、水着に着替え、海へ入って行った。海はといえば…綺麗だ!!透明であり、サンゴの間を小さな魚が泳いでいる。遠浅なので溺れる心配もない。ただサンゴや岩で怪我する危険があるのでサンダルをはいて泳いだ。ただ失敗したなと思ったのは防水用のカメラを買えばよかったということ。せっかくなので海の中の写真も撮りたかった。

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 ホテルのお客の多くは西洋人であった。海で泳いで楽しんでいるというよりは海で過ごしているという感じであった。皆ゆったりと満喫しているようであった。こうして綺麗な海に来てみると、フィジーに来たのだと改めて実感してしまう。ただまだこれ以上の海はフィジーにはたくさんある。それを見つけるのも面白いように思う。
 その後ホテルで昼食を食べて、近くのクラエコパークへイグアナなどフィジーの動植物を見に行った。エコパークの中ではフィジーイグアナと戯れることができた。イグアナは柔らかく、ポニョポニョしていた。園内は思ったよりも広く、イグアナなどの爬虫類以外は鳥が多かった。

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 帰りはまたバスで帰ったが、予定時間になってもバスが来ない。45分待って、もう諦めて近くの町に移動しようかと思ったときにバスがやって来てなんとか乗る事ができた。

10 15
2010

フィジー 生活日記

フィジー生活③

10月13日(水)
 朝はフィジー語の授業を受けた後、昼からフィジーの博物館に行った。博物館は思っていたよりも大きく、昔の貿易などで使っていた船なども展示されていた。展示品の中には白檀もあった。白檀は中国人にとってはかなり貴重なもので、白檀で作られた棺の中で死ぬことが夢だとされたぐらいである。18世紀の欧米の対中国貿易の際に白檀は重宝とされた。インドネシアなど東南アジア圏で白檀の木は多くあったが、対中国貿易のためにほとんど伐採されてしまい、現在見つけるのは難しくなっている。
 他にもフィジー人が使っていた日常品、戦争用の武器等も展示されていたが、残念ながらカンニバル関係のモノはほとんどなかった。またインド人をプランテーション労働者としてフィジーに連れてきたことについて書かれている展示コーナーでは大きなフィジー人4人が真剣に見入っていた。ネイティブ系とインド系は普段は融和しているようだが政治的にはしこりが今も残っている。この4人はインド系に対して理解を示そうとしているように見えた。
 夕方は食材を買いにまたスバにある中央市場に行ってきた。ここには多くの野菜が売られているので毎回買い物が楽しい。この前はここでワラビを見つけた。また日本よりは細いが大根も売られており、大根おろしにすると甘くて美味しかった。今日は果物コーナーでブドウを見つけた。
 市場は2階建てのコンクリートの建物の中に入っており、1階は野菜や果物が売られている。2階は香辛料やヤンゴナが売られており、なぜかタマネギとジャガイモは2階で売られている。値札がちゃんと付いており、値切る事はできない。売り手の中にはネイティブ系、インド系の他に中国人も多くいる。1階の建物の中央部分のほとんどは中国人とインド系で占められており、ネイティブ系は隅の方で売っていることが多い。自分はできるだけネイティブ系から野菜を買うようにしている。しかし今日気付いたのだが、一番野菜の種類が豊富なのは中国人の店で次にインド系である。ネイティブ系の店で売られているものの多くはタロやキャッサバなどのイモ類やパパイヤやバナナ、ココナッツなどの木の実であった。野菜で売られているものはほとんどがナスビかレタス、トマトぐらいであった。これはネイティブ系の食文化の中にはあまりニンジンやキャベツなどの野菜が使われていないのか、それとも何か別の理由のためか分からないが、調べてみるのも面白そうだ。来週から一週間ほどかけて市場調査などを行いたいと思っている。
10 12
2010

フィジー 生活日記

フィジーの村でホームステイ

10月9‐11日(土-月)
 2泊3日の日程でフィジー人の村、モニ村にホームステイに行ってきた。モニ村はドミトリーから40分くらいの距離にある村で、道路は途中からコンクリートから整備されていない道路に変わった。フィジー人の村は住居が集まっていると言われているが、この村は細長く伸びており、家と家との間が離れている。
 フィジーの村に入るためには最初にセブセブという儀式を受けなければならない。村のリーダーを前に自分たちは横に並んで座って、下座に男性、女性の順に座る。フィジーの村では伝統的な飲み物としてカヴァというものがある。これはヤンゴナと呼ばれるコショウ科の植物の根っこを粉状にしたものを水で溶いた飲み物で、見た目は泥水である。味は木をそのまま飲んでいるような感じで、飲んだ後に舌が少し痺れる感じがある。話によると沈静作用があるようで、飲んでいるうちにだんだん静かになっていくらしい(自分はあまり感じなかった)。フィジーの農村ではお酒の代わりに夜に集まってみんなで飲み回す。ヤンゴナは最初に村を訪れる時重要なもので、これをお土産として持っていかなければならない。セブセブの儀式では入村者はカヴァを最低一杯は飲まなくてはならない。

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 自分のホームステイ先の家は木造の家で、ベッドや冷蔵庫などはあるが、TVなどはなかった。シャワーはなく、バケツにためた水をかけるだけ。またトイレも穴を掘っただけのものであった。後で他のメンバーから聞いたら、他の家ではDVDやCDコンポがあったり、トイレが水洗であったりしたようだ。しかしそこのおじさん自体は村の中でもステータスが高いのか、村長の次にカヴァを飲み、また儀式の中でも皆の前でしゃべっていた。周りからはコミカルなおじさんと言われ、真剣な表情で冗談を言って皆を笑わせていた。なぜか昔から自分が海外でお世話になる人間は、マラウイのプロジェクトリーダー然り、インドネシアの教授然り、ユーモアな人が多い。他には奥さんと30歳ぐらいの息子さん、その他に孫が3人いたが、誰の子かはよくわからなく、家族関係がいまいちよく理解できなかった。男の子2人、女の子1人(全員小学生)で、この3人からフィジー語を3日間教授された。小さくてもそれなりに英語も喋れるので、なんとかコミュニケーションを取る事ができた。

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 食事は朝はパンやホットケーキ、キャッサバで作ったケーキみたいのが出てきた。昼と夜は同じで主食はタロイモ、おかずはタロの葉でココナッツミルクとコーンビーフを包んで煮込んだバルサミという料理と貝のマリネみたいな料理であった。タロイモはおもちみたいな感じで美味しく、またどの料理も美味かった。しかし量が多く、全部食べるのは不可能である。
 夜は集会所に集まってカヴァを飲んでいた。ただカヴァだけでなく、ギターも演奏され、踊らされた。ここで生きたのがアフリカでの経験で、マラウイで踊っていたのですんなり入る事ができ、かなり喜んでもらえたと思う。カヴァを飲んで、その後ダンスの繰り返しでかなり楽しめたが、かなり疲れてしまった。

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 村での2泊3日はかなり面白くここでは全て伝えきれないぐらいの発見がいろいろあった。また何かあったら書きたいと思う。ではでは。
10 08
2010

フィジー 生活日記

フィジー生活②

10月5日(火)
 最近、朝はオフィスまで30分くらいかけて歩くようにしている。簡単なトレーニングである。行くまでに学校に登校していく小中学生や通勤する人を見かける。その多くはスルを腰に巻いている。今日知った事だが、ブラシャツならスルから裾を出していいらしいが、ワイシャツの場合は裾をちゃんとスルの中に入れなければならないらしい。
 朝は大使館の方から草の根無償協力と大使館の文化・広報事業についての話を聞いた。どちらも上手くいけば自分の活動に大きく関係するもので、活動次第ではお世話になるだろう。特に草の根の無償協力は興味深い。ただし、こちらのやる気だけでやるものでもないし、またそのための下準備はかなり大変である。しかしせっかくなのでプロジェクト計画策定などもやってみたい。
 お昼は来賓を招いての昼食会であった。政府や大使館の関係者、またフィジーの新聞やテレビもやって来ていた。幸運ながらこの前みたいに取材はされなかった。食事で出されたのはフィジー料理やインド料理であったが、タロの葉をココナッツで挟んだような料理はあまり好きになれなかった。しかしこれはフィジーの家庭料理であり、実際の活動が始まると食べる機会が多くなるだろう。タロは他の隊員がソースなしでは食べるのが厳しいと言っていたが、自分は大丈夫であった。
 昼はネイティブフィジー人とインド系フィジー人の文化に関する説明であった。フィジー人のオフィサーの方から話を聞いたが英語を聞きとるのがかなり難しい。マラウイの時は自分の英語力がないと思っていたが、いろんな外国人と話し合ってきた現在では発音の違いのせいであって、自分の英語力だけの問題ではないと思っている。
 ネイティブフィジー人の集団はかなり複雑である。自分が行くラ県ではラ県事務所と言っても二つ存在する。1つはラ県全体の地域開発を担当するオフィスで、もう1つはラ県のネイティブフィジー人を統括するオフィスである。自分が所属するのは後者の方であるが、11月の最初の1週間ほどは前者のオフィスの所長の家にホームステイすることが決まった。また難しいのはいくつかの家族が集まって集落、さらにいくつかの集落が集まってさらい大きな集団を構成しており、こうした集団は行政村とはまた別であることだ。フィジーでは基本的に私有地というものは限られており、多くは氏族みたいな集団による共有地である。このため土地所有の分析をする場合、日本での常識は通用しない。フィジーの農村に入るにあたって、まずこうした集団や土地制度を整理し、徹底的に調べる必要がありそうだ。日々課題が増えていき、忙しくなりそうな気配がある。
 夕方は30分ほどランニングをした。ドミトリーの近くにはスポーツ施設が充実しており、フットサルやバレー用のコートやプールなどがある。また広大な芝生広場があり、そこでラグビーなどをすることもできる。5時半くらいになると多くの人がバレーボールをしたり、ドリブルを禁止のネットバスケをやっていた。自分も混ぜてほしかったが、そこに入っていく勇気はなかった。チキンだ…。スバはかなり恵まれており、住むのには特に問題のない町であるように思う。しかし少し気を抜くと何もしないまま2年間が終わりそうだ。まぁ自分が派遣されるのは農村であるが。
10 05
2010

フィジー 生活日記

フィジーでの生活①

10月1日(金)
 この日はオリエンテーションが11時からだったので歩いてオフィスまで行った。道はドミトリーを出る前に事前に確認していたが、遠回りをしてしまい30分かかってしまった。
 今日1日はフィジーでの安全に関する講義であった。フィジーで元警察であった人を招いてフィジーの犯罪や危険地域について教えてもらった。何度も聞いていたがスバは夕方ぐらいからかなり治安が悪くなるということであった。昼間はスリが多く、人の多く集まるところで狙われることが多いそうだ。しかし夜はかっぱらいや強盗なども発生する。またフィジアンは酒癖が悪いので、酔っぱらったフィジアンに絡まれないように夜、彼らが飲んでいるところにはあまり近づかないようにしろということであった。またスバには貧困地域みたいなものもあり、近づくなというお達しを受けた。ただスバの町から受けた印象は気をつけていれば、まず犯罪には遭遇しないということだ。

10月2日(土)
 朝からスバの中心街に行ってブラシャツ(フィジーの伝統的なアロハシャツみたいなもの)とスル(男性が腰につけるスカート)を買いに行った。観光客を対象にしたローカルマーケットみたいなところでブラシャツをF$20、スルをF$18で買った。そこのおばちゃんには日本人ということで驚かれ、どこかの性質の悪い不良のフィジアンだと思ったと言われた。坊主で髭を生やし、メガネだとそうなのか。
土曜日のスバの町は面白い。路上にマーケットが立ち並び、安い値段でいろんな雑貨などが売られている。スバではおそらく必要なほとんどのものがそろうだろうと思う。店の店主はほとんどがインド系か中国系の人たちである。基本的にフィジーでは価格が表示されており、交渉の余地があまりない。ローカルな野菜のマーケットで値切ったりすると嫌がられるらしい。値段がついていると、ぼったくられた感はないが、交渉できないと少し寂しい気分になってしまう。ストリートには物乞いの人を何人か見かける。ただマラウイに比べると数は少なく、また服装も汚くない。ストリートチルドレンみたいな子どもは見かけない。また物売りにからまれることもない。
昼からは先輩隊員やJICA職員、日本大使館の職員を含めて歓迎パーティーを開いてくれた。すでに自分の派遣先であるラ県の農村部に入って活動している隊員の人もおり、いろんな情報を得ることができた。その方の話によると、自分が行く農村はみんな幸せそうらしい。お金はあまりないみたいだが、みんなのんびりと暮しいる。しかし何かする時に教会を通すと寄付がすぐに集まるらしい。ただ季節労働としてサトウキビプランテーションに出稼ぎに行ってしまってある季節には人が村からいなくなる時もある。聞いているとかなり面白い村だということがわかる。そこで何か問題を解決する必要がないなら、逆になぜ問題がないのかを調べればいい。何かするのは難しいかもしれないが、村に入って調査するのはかなり面白そうだ。
またシニア海外バランティアの人で農業学校で講師をしている方がいる。ただ彼の本職は獣医であり、本当は家畜に関わる仕事をしたかったらしい。彼の話ではフィジーの雑草でクローバーみたいなマメ科の雑草はほとんどないらしい。そのために牛が草を食べても十分に太らないらしい。余裕があればそういった仕事にも関わらいたいらしいが、忙しいらしくて難しいそうだ。
歓迎会ではとんかつやマグロの刺身、餃子などが出ておいしく食べることができた。

10月3日(日)
 日曜日は時間があるのでゾロ・イ・スバ森林公園に行って来た。公園と言ってもどちらかと言えば簡単な(?)ハイキングコースを回るものである。ドミから森林公園まではタクシーで20分くらい、料金はF$15であった。タクシーの運転手のインド人にしっかりとつかまり、帰りのタクシーとしても利用してくれと頼まれた。彼曰く、ヒンドゥー教徒は休みなく働くもので、そのためお金を稼げる。しかしネイティヴ・フィジアンは休日に教会に行くからお金を稼げないということであった。
 森林公園は人気がほとんどなく、一人で公園内を歩くと不安を感じるようなところであった。入口に一応オフィスと呼ばれる小さな小屋が建っているだけで、そこでF$5を支払って園内に入る。20分くらい歩くとやっと森の入口にたどりつく。そこからは小さな小道を歩いて森の中を散策する形となる。小道はいろんなルートがあり、途中で枝分かれしているために、ちゃんとコースを把握していないと迷う可能性もある。途中プールと呼ばれる水遊びする場所がいくつかあるが、あまり綺麗な水ではなかった。ただせっかくなので水に入って楽しみましたとさ。

10月4日(月)
 朝、疾病対策などの講習を受ける。自分が行くラ県は首都から離れており、医療体制が充実しているとは言えないため、健康管理にはかなり気を使わなくてはならない。講習の後、病院を見て回った。最初に訪れたのはスバで一番きれいな私立病院で、院内はすごく清潔に保たれているという印象を受けた。医療機器がどこまでそろっているのかは分からなが、設備ではフィジーで一番らしい。しかし私立のためここで受診してもらえるのは一部の富裕層であるみたいだ。何といっても入院費用だけで一日F$350(1,7500円くらい)はさすがに高い。何か怪我などした場合はここにお世話になるらしい。
 次に公立病院を訪れた。公立病院での診察は基本的に無料なために多くの人が訪れていた。先の私立病院と比べると建物は雲泥の差で、建物が老朽化しており、暗い雰囲気があった。外来には多くの患者さんが待っており、受付らしい看護婦さんが一人ずつ最初に診てどこに回すか決めているようであった。診察してもらうだけで半日くらいかかるらしい。日本の病院と異なっているのは患者に年配の人が多くなく、色んな年代の人がいたことであった。
 その後、フィリピン人のお医者さんが運営している小さなクリニックで腸チフスの予防接種を受けた。ここのお医者さんは10年くらい協力隊のお世話をしているらしく、日本人の扱い方を良く心得ているために、軽度の怪我や病気はここでお世話になれということであった。
 それにしてもフィジーに来て約1週間経ち、そろそろメンバーに最初の疲れが見えてくる頃である。フィジーは、日中は紫外線が強く、結構暑い(とは言っても、現在は乾季なので湿気が思ったよりも少なく過ごしやすい)。しかし夕方~夜にかけてはかなり涼しくなる。夜寝るときに布団など掛けていないと、身体を冷やすこともある。またオフィスではクーラーの調整がきかないために、かなり寒い。そのため身体の体調を崩さないように、気をつけなくてはならない。
 この日は町で中国人が経営している食料品店を見つけて、そこでキムチの素を買った。中国人が入っている町の多くにはこうした中国人の食料品店があり、中国・韓国・日本の食料品が売られていることが多い。日本の食料品だとカレーやハヤシライスのルゥや味噌・醤油・お酢等が売られていた。またインスタントの味噌汁や寿司の素みたいなのもあった。思ったよりも種類は少なく、また日本と比べても2‐3倍くらい高いためにあまり買えないと思うが、ここで日本食を作ろうと思えば作る事はできる。
 夜は買ったキムチの素を使ってさっそく野菜だけのキムチ鍋を作った。近くの八百屋さんで白菜、ネギ、にんにく、大根(かなり細い)などを購入してきて、鍋に放り込んだ。白菜は一個F$3、ネギは小一束F$1と比較的高かった。またニンニクも3房でF$2であった。フィジーでまだどのような野菜が好まれているのかはわからない。これから1年くらいかけて農産物の種類や価格の変動を見ていきたいと思う。
10 01
2010

フィジー 生活日記

フィジーへ到着!!

9月29日
朝の8時30分頃にフィジーに到着する。韓国からの10時間のフライトのためにかなり疲労していた。イミグレーションと税関はすぐに通ることができた。空港の周りは特に何もなく、そこだけだとここはリゾートの国フィジーではないかのような印象を持った。ナンディの空港からバスで4時間かけて首都のスバに向かった。道路の状態は悪くはない。幹線道路沿いから見ると、家は密集しておらず、また畑にはサトウキビ、パパイヤ、タロ、キャッサバが植えられていた。特にキャッサバに関しては道路沿いや斜面など場所を問わず植えられていたように思う。サトウキビ畑は広く、また農耕機もいくつか見かけることができた。インドネシアではハンドトラクターであったが、フィジーで見かけたのはトラクターであり、これは個人所有か政府からの補助かどうか明確にする必要があるだろう。野菜畑は幹線道路沿いからは見ることができなかったが、道路沿いではたまにパパイヤやタマネギなどが置かれた露天商があった。ナンディからスバの途中には町と呼べる場所は一つしかなく、スーパーなどもほとんど見かけなかった。

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スバの町に入ると途端に店が多くなり、中心街にはビルやショッピングセンターが立ち並んでいた。人もネイティブ系とインド系がだいたい半分半分といったところであった。町の中のショッピングセンターには必要なものはほとんど買うことができる印象を受けた。店で食べると一食F$5‐10(現在F$1=約50円)くらいになると思われる。ただし量は結構多いように思う。ネイティブ系のフィジー人は愛想がよく、向こうから声をかけてくれる。ただしマラウイのようにお金を要求されることはなく、また「中国人」と言われることもなかった。道路にはストリートチルドレンも見かけなかった。朝・昼は比較的治安が良いようで、スリに気をつけなければいけないが命の心配はする必要はないようだ。町の中では車が多く走っており、バスやタクシーが主な移動手段であるようだ。バイクや自転車は見かけなかった。これはカワサキやホンダの店がないだろうからか、インドネシアとは大違いである。ただスバは丘陵地帯になっているために坂が多く、自転車での移動は大変であると思う。タクシーの初乗り料金はF$1.5であった。ドミトリーからオフィスまで通ってもF$2.5‐3であり非常に安い。これからフィジーで生活するのにスバでの生活はそんなに問題ないように思う。

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9月30日
 朝、10時から在フィジー日本大使邸へ挨拶にいった。スバの高台に建っている大きな家で、いかにも要人が住んでいるという印象であった。大使との会談は2時間程度行われた。自己紹介の後、大使がそれぞれの隊員に質問するという形だった。フィジー経済について話を聞きたく外務省の専門調査員を紹介してもらえるように頼んでみた。
 昼からはボランティアや政府の人事を管理している官庁の事務次官に表敬訪問した後、それぞれの関係官庁に挨拶に行った。自分たちが行ったのは「地方開発・先住民及び他民族省」であった。話したのは人のポジションはわからなかったが、かなり高いポジションであると思う。また彼自身が自分たちがこれから行く村などに挨拶に赴くなどしているために、フットワークは結構軽いという印象を受けた。
 表敬訪問の後はオフィスに戻って調整員の方から自分が派遣される村について少し話を聞いた。当初自分が派遣される予定であったMburenitu村は住居の関係上変更して、その横のMacawallevu村に行くことになった。こっちの村の方が規模が大きいようだ。村ではホームステイになり、村の中でも結構有力な人の家に泊まる事になるようだ。
 その後はローカル市場で野菜を買った。ローカル市場の方がスーパーよりも野菜が安く新鮮で種類も豊富であった。野菜は多くあり、価格相場などを調べなければならない。野菜にはすでに価格がついているために、ローカル市場特有の価格交渉はほとんどできない。ただし少し大きいものに変えてもらうことは出来るだろう。ここはまさに宝の山である。その後スーパー組と合流して、ドミトリーに帰りスパゲッティとチヂミを作る。
プロフィール

Teppei

Author:Teppei
2003年-2006年 都留文科大学で国際協力とスピードスケートに出会う
2006年4月 イギリスのCollege for International Cooperation and Developmentに半年間所属
2006年11月 マラウイのDevelopment AID from People to Peopleに半年間所属。農村を走り回る。
2007年 大学に戻る。
2008年 名古屋大のGSIDで農村開発を専攻
2010年 JOCVでフィジーの村落開発に関わる予定

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