HOME   >>  2010年05月
-- --
--

スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
05 31
2010

日本の地域

口蹄菌警報

先週からフィールドワークを行っている鹿児島県鹿屋市高隈地区ではピリピリしている。
原因は口蹄菌である。

今のところ鹿児島での発生事例は聞かされていないが、宮崎県との県境に近い高隈地区にいつ入ってきてもおかしくない。自分も最近まであまり気にもとめていなかったが、よくよく考えると恐ろしい病気(正確には病気自体よりもその対応が)である。

もし高隈地区から口蹄菌に感染している牛豚が見つかった場合、高隈地区の牛豚は全て殺処分されてしまう。まずこれだけで高隈の畜産業は壊滅してしまう。次に殺処分された牛豚は農地に埋まられるが、埋められた畑は3年使えなくなる。これで農業も大ダメージを受ける。もし山に埋めたら、きれいで有名な高隈の水が汚染されてしまうリスクがある。今の対策では高隈で口蹄菌が発生した場合大変なことになる。

そのため畜産農家さんは神経質にならざるおえなく、よそ者の自分は畜産農家さんに近づけない。今回のフィールドワークは大きく行動制限されている。

自分が現在通っている木酢プラントの木酢が口蹄菌拡大防止予防に効果を上げればいいのだが。
スポンサーサイト
05 27
2010

未分類

技術補完研修その5~フィールドワーク~

技術補完研修3週間のうち、最初の一週間は鹿屋市を中心に地域づくりなどに取り組んでいる人々から経験談を聞き、彼らの持っているノウハウを得る期間であった。

ただ後半の2週間はKAPICの近くの高隈地区においてフィールドワークである。残念ながら今回は宮崎県の口蹄菌の問題で移動制限された。

フィールドワークの詳細に関してはプライバシーの関係もあるのでここではあまり書かない方がいいと思う。ただ研修はやっと今日で折り返し。
05 24
2010

日本の地域

技術補完研修その4~NPO法人くすの木自然館~

5月20日にNPO法人くすの木自然館に行ってきました。

くすの木自然館は重富干潟の環境保全に取り組んでいるNPOであるが、地域づくりに関して多くのヒントを得ることができた。例えばまず子どもたちを巻き込んだことによって、地域の人々や自治体も重い腰を上げざる状態になったこと。またただ干潟を守りたいというのではなく、本当に干潟を残すことは地域にとって良いことなのかを人々と話合った結果、地域の人々が干潟の重要性に気付き、保全運動ができたこと。すなわち地域の人々がどんな場所をそこに望んでいるのかをしっかりと理解したうえで、干潟を保全しようとしたのだ。そして地域の人々にその場所を好きになってもらうことが大切である。

IMG_3852.jpg


その他にこのNPOが上手いと思ったのは、自身の団体も含めて関係するステイクホルダーの長所と短所を把握し、それぞれのステイクホルダーが出来ないことを認めたうえで、出来るところにお願いしていったことだ。このようにして町内会や自治体、企業、子どもたちを巻き込んでいった。

主役になるべきはその地に住んでいる人々であるべきで、良い未来像を描くことができれば人々の行動様式も変容していくということだった。

IMG_3855.jpg

IMG_3860.jpg

05 21
2010

日本の地域

技術補完研修その3 ~ねだやん~

5月18日にやねだんに行ってきた。
鹿屋市に来る前に鹿屋について調べた時に知った集落の取り組みである。ここの公民館長の豊重さんから話を聞くのを楽しみにしていた。研修前日にはやねだんについてのDVDを見ていた。

10時前に集落に到着。全国から研修に来るらしく、自分たちのグループも北海道からの視察団と一緒に講演&見学を行うことになっていた。到着後、すぐに目に入ったのは講演にある遊具らしきものであった。しかしそれは遊具ではなく健康器具であった。公園に健康器具を置いてある所など他にはないと思う。こうした器具も富重さんの言う集落の自己財源で購入したらしい。おじいちゃんたちはこれを使って日々トレーニングに励むことができる。それにしてもおじいちゃんが元気であった。89歳で背筋がピンと立って、器具でガンガントレーニングしていた。

IMG_3721.jpg


富重さんの講義ではどのように地域の人々を巻き込んでいったのかについて話を聞きました。そこで富重さんがおっしゃっていたのは“命令形のない人集め”と“感動”させることだと言っていました。地域には行動しないで批判ばかりする人、動かない人、足を引っ張る人などいろんな人が存在しています。そんな人々を命令して集めようにも集めません。そこでそんな人々を“感動”させれば、自分の味方になってくれる(実際は簡単ではありませんが)。

IMG_3714.jpg

また地域の人々は様々な特技や能力、可能性を秘めています。富重さんは地域づくりには補欠はいないと言います。地域づくりにおいては一人ひとりの持つ才覚を認知し、それらを引きだすことが大切です。また何かをしようにも、お金がないと活動は制限されます。お金を行政に頼ったのでは、行政の事情によっては資金が不足する場合がある。そこで富重さんが作ったのは自主財源でした。集落の人々が協働し、サツマイモや焼酎などを作り、それらを販売する。まさにやねだんの原動力は人海戦術でした。

現在は空き家にアーティストを呼び込み、文化づくりに力を入れたり、韓国のホテルに居酒屋“よねだん”をオープンしたりとその活動の幅は広がることを知りません。

IMG_3745.jpg


今回、よねだんからは多くのことを学びましたが、特に私にとって心に残ったのは“苦から逃げない知恵をつける”ことと、“快話”をすることの2つです。

今後、この2つを実践していきたいと思います。
05 19
2010

日本の地域

技術補完研修その2 ~かのやばら園~

5月17日の午前は「かのやばら園」に行って来た。ここは鹿屋市の観光地の目玉のひとつであり、園内には3000種以上の薔薇が育てられていた。それまで自分の人生に薔薇という言葉は存在していなかった。薔薇など贈ったこともないし、ほしいと思ったこともない。ただ園内の薔薇は思った以上に綺麗で、また国ごとや県ごとなどに品種を分けている等、展示の仕方も考えられていた。またばら園の説明をしてくれたのはJOCVカンボジアのOGの方であった。

IMG_3643.jpg

IMG_3658.jpg

IMG_3685.jpg


最近の地域開発ではしばしば地域資源の有効利用が求められる。しかしかのやばら園はどちらかといえばもともと地域の資源ではなかったと言える。鹿屋市が薔薇栽培に適していたわけではなく(実際は適していないらしい)、広場を有効利用するために栽培するのが困難であった薔薇に挑戦したらしい。その規模が大きくなったのが現在のかのやばら園であるらしい。こうして考えてみると、地域開発には既存の地域資源を有効に活用できる場合もあれば、資源がもともとなかったところに新しい資源を創造することもできるといううことだ。

現在、ばら園の経営は市民(NPOローズリンクかのや)によってなされている。運営資金はローズリンク債を発行して集めているということだった。運営以外にも薔薇教室を開くなど住民との関わりを更に大きくし、園外の道路にも薔薇を植えて、薔薇の町と鹿屋市が呼ばれるようなまちづくりを行っていくことを目標としている。

ただばら園のみで鹿屋市のまちおこしはできないという認識があり、人を呼び込むための点としてだけではなく、他の観光地と連携した平面の観光地を目指していた。すなわち魅力的な観光地が多いほど、観光に来る人は多くなるし、また満足するということだ。そのためにはばら園の知名度や質を上げるだけでなく、他の観光地にも質の向上を呼び掛けなければならない。ただ連携には時間がかかる。しかし時間をかけても、困難であるからこそやってみる価値があるということだった。

この話を聞いているうちに、以前私が関わっていた長野県のある山村の地域おこし事業を思い出した。その頃は近隣の有名観光スポットとどのように競争していくのかを考えていたが、確かにそうしたところと連携していく可能性もあったのだ。人を呼ぶにはもっと空間的に地域をとらえる必要があった。

ちなみにばら園で最も興味を持ったのは薔薇ではなく、薔薇カレーであった。なんせピンク色のカレーである。せっかくここまで来たのだから食べなくてはいけない。薔薇カレーは甘口であり、あっさりしていた。また薔薇の焼酎も売っていた。こうした薔薇グッズは面白いと思う。ただお土産の中には薔薇関連ではあるが、生産地が県外の商品もあった。自分はお土産を無理に多様化するよりも、本当にその地域でしか生産していないものだけを並べる方がいいように思う。

IMG_3682.jpg
05 17
2010

日本の地域

技術補完研修その1 ~グリーンツーリズム~

5月15日から6月4日までの3週間、JOCVの技術補完研修が鹿児島県鹿屋市にあるKAPICセンターで開かれた。私も研修生の一人として参加している。

16日は堀之内さんという元気いっぱいな農家のお母さんにお話を聞きに&グリーンツーリズム体験に行って来た。まず御飯を食べさせてもらったが、そのおいしいこと。自家製のお野菜をふんだんに使って煮物やサラダなどを作っていた。また鳥刺はもう言葉を失いかけるほど美味しかった。お酒を飲めなかったのが唯一の残念な点ですが。

IMG_3585.jpg


その後、堀之内さんからいろいろ貴重なお話を聞くことができた。堀之内さんは地域の婦人会で活動しており、食品の加工やグリーンツーリズムなど地域や農業を元気にする仕掛けづくりを積極的に行っている方である。堀之内さんから話を聞いたことで、自分がフィジーに行ったときにどのような活動をしていきたいのかといういくつかのヒントを得ることができた。

その中で特に心に残ったお話は

①交流の大切さ
ただ作物を栽培するだけでなく、他の地域の農家と交流することで、先進的な農家の取り組みを知り、大きな刺激になるということであった。勉強会や講演会に呼ばれて行くうちに、他の地域の現状を知り、ぜひ自分の地域でもやってみたいなという意欲がわいてくるということだった。

②母ちゃんは勉強する
勉強会などに行っても、農家のご主人は飲み会を頑張りすぎて、あまり学んだ事を覚えていないということだった。それより母ちゃんの方がちゃんと記録し、家に帰った後も自分の地域で学んだことを試してみようとする。また旦那さんにも働きかけ、協力者が徐々に広がっていくとのことだった。このため農家の母ちゃんに好かれる必要があるということだった。

③グリーンツーリズム
まだ始めたばかりで軌道にはのっていない。ただ本州の方から泊まりに来てくれた家族がリピーターになってくれて、彼らが来てくれるのは堀之内さんにとってまるで息子が帰郷するようなものだと言っていた。こうしたツーリズムの大きな効果は人との交流にあるように感じた。

④農産物加工
婦人会の有志で夜に集まってドレッシングなどを製造している。仕事は趣味の感覚ではなく、真剣にやっているそうだ。製造したドレッシングなどはスーパーなどにも並べられている。また最近では味噌の大量注文が入ってきたそうだ。そんな堀之内さんが言うには「やる気があれば仕事等いくらでも作れる」だそうだ。

お話を聞いた後は農作業体験をさせてもらった。自分は田んぼでの作業は初めての体験であったが泥だらけになりながらも少しは貢献できたような気がする。

IMG_3623.jpg


このお話で自分がフィジーに行ったときにどのように動こうかというイメージをつくることが出来たのは大きな成果であった。
05 15
2010

過去の海外諸活動

マラウイでの活動

マラウイで2006年11月から2007年4月までの半年間、NGOで活動していた。NGOの名前はDevelopment Aid from People to Peopleというデンマーク発祥の海外NGOであった。このNGOはマラウイでは他にもChild AidやHIV/AIDS関連の活動を行っていたが、自分はFarmers Club(FC)という村落開発のプロジェクトに所属していた。

FCのプロジェクトサイトは全部でマラウイに4つあり、自分がいたのはZombaというマラウイの旧首都周辺であった。各エリアには1人のプロジェクトリーダーと6人の農業普及員(EW)、1人のアドミニストレーションがいた。自分はそこにDevelopment Instructor(DI)という仰々しい肩書きを背負って活動していた。

PHOT0118.jpg

P1070542.jpg


私が現地に着いた時はプロジェクトも始まったばかりで、全てが手さぐり状態であった。活動計画は一応あったが、プロジェクトリーダーの会議でその都度変更するという状態であった。

プロジェクトに参加した当初、自分に与えられた仕事など何もなかった。着いたばかりなのでマラウイのこと何も知らなかった。プロジェクトも開始したばかりでボランティアも受け入れたことがないので、DIの使い勝手もわからない。自分は完全に手持ち無沙汰であった。現地に行けば何かあると考えていた自分の考えがどんなに甘かったか実感し、また自分の存在意義について悩んだ。

JOCVの不満でしばしば聞くのが、「要望書に書いている仕事をする気で現地に行ったら、実際は全然違ったものであった」や「自分には何の仕事も与えられなかった」という声だ。しかし良く考えれば当然であった。そもそも本当に来るかどうかもわからないボランティア、もし来てもどのような人物がくるかもわからない状態で、仕事をわざわざ用意しているお人よしは少ないと思う。

自分自身で自分のやる事、仕事を探さなければならないのは当然であった。私自身はとりあえずEWやプロジェクトリーダーに最初くっついて、彼らの仕事で自分が手伝えることはないかと探した。そうこうしているともっとこうしたらいいのではないかという点が見つかってくる。例えば農家の名簿を作ったが、EWはその名簿をちゃんとデータとして整理しない。こうした時は自分の出番であった。

PHOT0974.jpg


やる事がないなら見つければいい。最初は小さいことでも、どんどん提案していけばよい。そうすることで現地の人々と信頼関係が出来てくると思う。自分が一番活動で面白かったのが、普及員とどのようにワークショップを行うのかということを考えた時であった。彼らの開くワークショップを見ていたら、もっとこうしたらいいのにという点が見えてきた。時には激しく議論もしたが、自分の意見を示すことで向こうも意見を求めてきてくれるようになった。

フィジーに行っても要望書に書いてある仕事はほとんど期待していない。自分に何ができるのか、何をするべきかについては現地で考えていきたい。ただし今度はマラウイでの反省も生かしてしっかりと下準備をしたい。
05 14
2010

雑記

英語

自分は英語の勉強が大嫌いであった。中学・高校と受験のための勉強で、テストの点もいい方ではなかった。
大学でも勉強したが出来は散々であった。そんな人間が21歳のときにいきなりイギリスに行ってやっていけるのかどうかといえば、大変であった。ちなみにこの時が初の一人での海外であった。

まずイギリスのヒースローに到着してノートパソコンとデジタルカメラが盗まれるという災難に出くわした。幸い保険をかけていたが、警察の証明書が必要であると言われ、空港の警察官に事情を説明しなければならなくなった。しかし英語が全くしゃべれないために説明できない。二人の警察官には笑われ、イギリス生活は最悪の状況からスタートした。

その後、目的地のHullに行くためにキングスクロス駅から列車に乗らなければならなかったが、空港からどうやって駅に行けばいいのかわからない。人に聞いても英語で返ってきて、理解できない。そのため空港を2時間くらいうろうろと歩き回った。その後やっとバスに乗ったが、着いた駅はキングストン駅。この時はかなりテンパっていました。

ただ言葉がわからなくてもわからないことがあったら勇気を出だして聞くのがいい。駅員に聞くと言っていることは分からないが、親切にHUllまでの行き方を紙に書いてくれた。この後も混乱しながらもなんとか目的地のCICDに到着した。

ただ英語を話せない自分はCICDでも当初、他の外国人と話すのには大きな抵抗があった。何よりも聞き取れない。何を言っているかわからない。そんな状況であった。

では自分の英語力が上達したのは何だったのか。それはおそらくFundraising(路上での雑誌売り)であっただろう。半年間、半強制的にネイティブと話(時には討論)をしたおかげで、英語は上達した(といってもめちゃくちゃしゃべれるわけでもない)。道を聞いても聞き取れるようになった時は感動した。

また英語力はなくても、自分のボキャブラリーを総動員して自分の意見を言えるようになった気がする。これは自分にとって大きな進歩であった。

今でも英語を勉強するのは嫌いである。しかし日本で困っている外国人を見つけるとつい声をかけたくなってしまう。英語をしゃべれるようになったというよりは、おそらく外国人とコミュニケーションをとれるようになったんだと思う。

05 13
2010

雑記

国際協力との出会い

国際協力に関心を持ったのはそもそも大学2-3年の頃であった。

高校の時は世界史に興味を持っており、将来は考古学か歴史学を勉強してみたいと考えており、特にインカ帝国に関心があった。しかし目的の大学に進学できず、中期で都留文科大学に入った。

しかし今から思うと結果としてそれがよかった。都留は山梨のド田舎にあり、遊ぶ場所は限られていたがその分勉強や部活に集中することができた。

1年の前期に12000字のレポートを3ヶ月かけて書くという課題が出た。お題は自分の関心ある分野ならなんでもよく、自分は当時最も大きな話題であったイラク戦争について書いた。ただ書いたというよりも引用したというほうが近い。しかしレポートを書くために何十冊もの本を漁り、新聞記事をこまめにスクラップして、世の中に大きな関心を示すようになった。

イラクやアフガニスタンについて調べているうちに出会ったのが中村哲さんが運営しているペシャワールの会であった。ペシャワールの会の会報を読んでいるうちに国際援助というものの難しさや矛盾について関心を持つようになった。これまで国際援助は貧しい人を救う良いものという認識があった。しかし、援助貴族やNGOの矛盾などの話を聞いているうちに考えは変わりもっと知りたくなった。

いや知りたいだけではなかった。実際に自分の目で見たくなった。その頃、本当にアフガニスタンに行ってみたかった。しかしそれを両親に言うと猛反対された。

その後、なんともなしにインターネットを見ているときに出会ったのがCICDのプログラムであった。イギリスに半年、アフリカに半年というプログラムと英語をしゃべれなくてもいいという文句にここに参加しようと安易に決めてしまった。

結果的にこれが自分の人生を大きく変えたと思う。
05 12
2010

日本の地域

直島~芸術の島

香川県の直島に行ってきました。香川県民のくせに今まで一度も行ったことがありませんでした。
現在は世界的に知名度が高い島ですが、ひと昔前までは何もない丸裸の島であったそうです。

島に到着すると有名な赤カボチャが出迎えてくれます。
赤かぼちゃ


最初にバスに乗って地中美術館に行きました。美術館はとてもおしゃれなんですが、展示している作品は特に印象に残るものはありませんでした。っていいますか、自分の美的センスがないのか、なんの感動もありませんでした。著名な芸術家の作品と言われているからありがたくなるのでしょうか。

その後はてくてく島を歩きまわりました。面白かったのがいろんな場所に作品が置いてあることです。こっちの方が美術館よりも面白かったです。
瀬戸内海

新聞読む人

IMG_3372.jpg

島歩きはやはり徒歩が一番面白いと実感しました。車や自転車では見落としがちなモノが島のいたるところにあります。コミュニティの畑にモアイなどの作品が置いてあるのを見つけた時はかなり楽しくなりました。これをおそらく見つけたのは自分だけではないのか…。

観光客は作品にばかり目を奪われすぎて、島を見ているのかという疑問を持ちました。一つ一つの作品からは直島とどういった関係性があるのかというのは伝わってきませんでした。この直島自体を一つの作品として捉え、こうした作品と島の人々の生活がどのように融合しているのかを見せることができれば素晴らしいのですが。

面白いお風呂屋さんがあったのですが、島の人は一度も行ったことがないと言っていました。どうやら観光客向けみたいで。こうした話を聞くとなんだか作品が独り歩きしているような印象を受けます。どこまで住民が作品を理解しているのかは疑問です。
IMG_3499.jpg

とは言ってもこうしたアートが現在直島に人を引き付けて、島が活気づいているのは間違いありません。今後の課題は島おこし事業が住民の手を離れすぎて、住民が望む以上の人が島に押し寄せてきて、地域の人々の生活を阻害しないように配慮することだと思います。

また7月に行こうと思うのでその時にはもっといろいろ見られたらいいなと思います。


05 11
2010

未分類

今日からまた…

こんにちは。

これからまた日記をつけていくことに決めました。
これまでいろんな人にお世話になってきて、またこれからもお世話になると思います。
なんで自分自身が学んだことを何か還元できれば幸いです。

さて今後の予定は青年海外協力隊で10月からフィジーに村落開発普及員として行ってきます。
ただし10月までは鹿児島や長野で研修が控えています。

こうした経験を通して何を自分が得られるのかいまから楽しみです。

もしよければお付き合いください。
プロフィール

Teppei

Author:Teppei
2003年-2006年 都留文科大学で国際協力とスピードスケートに出会う
2006年4月 イギリスのCollege for International Cooperation and Developmentに半年間所属
2006年11月 マラウイのDevelopment AID from People to Peopleに半年間所属。農村を走り回る。
2007年 大学に戻る。
2008年 名古屋大のGSIDで農村開発を専攻
2010年 JOCVでフィジーの村落開発に関わる予定

逆回転時計
カレンダー
04 | 2010/05 | 06
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

Page Top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。