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11 10
2010

未分類

フィジー生活 ⑦

遂に研修が終わり、任地に赴く日がやって来た。ここまでの道のりは長かった気がする。任地のラ県はスバから北へ3‐4時間行ったところにある県で、フィジーの中でも開発が遅れた地域だと言われている。ラ県まではキングスロードという道で行くのだが、観光の中心地であるナンディ-スバ間のクイーンズロードと違って整備が遅れている。現在は昔と比べる大分良くなったみたいだが、途中泥道や木のいかにも落ちそうな橋を進んでいかねばならない。工事は昔から行われていたらしいが、大幅に遅れているのが現状である。途中に木の橋があるといったが現在中国政府がコンクリートの橋をかける計画を立てているらしい。小さな橋一本なのでそんなに金はかからないが、この橋一本建てるだけでスバ-ラキラキ間の交通の安全性がかなり高まるのは間違いない。中国のODAは国の規模に比べれば大きくないと言われているが、援助がかなりピンポイントであると言われている。日本政府はフィジーに対しては現在ガバナンスの問題からインフラ整備の援助は止めている。また日本のODA予算は現在減少傾向にあるのも考慮すると、日本は中国に対外政策で大きく後れをとっているように感じた。
 さてラ県へは調整員の方と村落開発3人で向かった。1人は6カ月前から赴任しており、すでに自分の村で活動を始めている。いくつかは参考にさせてもらおうと思っている。もう1人はマラケ島というラキラキの町に近い島に赴任する隊員である。フィジーの隊員はシニアも含めて45人近くいるが、農村部に赴任するのはこの3人だけである。さて自分の赴任するマタワイレヴ村は景色の良い村であった。人口が話によると200人くらいらしい。主な産業は農業であるらしい。自分のホームステイ先の家はベランダがかなり広い家であった。ただ自分の部屋は4畳くらいと非常に小さく、ベッドと机、椅子しかない。壁には横の部屋との間に窓があり、カーテンで仕切っただけで、ほとんどプライバシーはないと言ってもいい。まぁ自分は特に気にならないが。ここで数日過ごしてみて結構自分は環境適応能力がある方ではないかと思った。ただ蚊だけはめんどくさい。
 問題は赴任した時に聞いたのだが、ホームステイ先のご主人が先週に亡くなったということだ。フィジーでは亡くなってから10日間は故人を偲ぶために親戚が集まるらしく、現在家には多くの親戚の人が滞在している。こんな時に赴任して良かったのか不安になりながらも、温かく受け入れてくれた人達に感謝するしかない。
 ただ自分の面倒は亡くなったご主人のお兄さんが見てくれている。彼は72歳でありながら、背が高く体ががっしりしており、チェーンソーを担いで木々が生い茂る森の中を進んでいく力強い人である。昔はナンディの国際空港で働いていたらしいが、現在は退職してラウトカに家を持っている。しかし自分の故郷の村の開発ワーカーとして村にやって来てボランティアとして活動している。具体的には家庭菜園以外にコミュニティー菜園を作って、そこで収穫した野菜を市場で売って村の基金にしている。この菜園は全額自腹らしい。また菜園で働いているのはこのお兄さん(お兄さんといっても72歳なので、今後はタタと呼ぶ)とその家族、あとは近所の子どもくらいであるようだ。タタは一生懸命働いているが、他のフィジー人は働かないと文句を言っていた。コミュニティー菜園と言っているが、どちらかといえば彼の畑になっており、独り相撲になっている感がある。ただ彼の思いはすごいと思うので自分もこれからコミュニティー菜園で働くことにした。赴任2日目は菜園で草ぬき、3日目の朝はオクラの収穫を手伝った。今日スバに用事があって上がってきたのだが、スバで長靴や手袋、野菜の種を買って、自分もこれから何か育てようと思う。最初はおそらく失敗するが、最終的には売れる段階まで持っていきたい。
 とりあえず自分の居場所はなんとか一つ確保することができた。日本人は自分の役割がないと不安に感じることが多いのではないかと思う。何もやることがない時に働く場所と自分の役割をこんなに早く見つけることができたのはかなり大きいと思う。思えばマラウイではそれをなかなか見つけることができなかった。そのため自分がそこにいる意味について何度も考えたものだ。このコミュニティー菜園を拠点にして活動を広げていければと思う。日課として早朝と夕方にコミュニティー菜園で働けば良いかなと思っている。また野菜の種もいくつか買ったので、ぜひ自分で育ててみたい。
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10 22
2010

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フィジー生活⑤

10月18日(月)
 今日から1週間半のヒンドゥー語の講義が始まった。週末にはインド系の家でのホームステイが控えている。ヒンドゥー語の文型は日本語と同じSOVであり、主語の省略などもできるので日本語にかなり近い。しかし外国語の学習でSVOの文型に慣れてしまっていたので馴染むことができない。また発音が難しく、微妙な違いが全くわからない。何よりヒンドゥー語を勉強するモチベーションが全く湧いてこない。村ではインド系はいないために基本的には使わない。もっとフィジー語を勉強したいような気がする。
 さてフィジーに関して良く言われていることに、タロイモやキャッサバみたいな簡単に栽培できる根栽類の食糧があるためにフィジー人はあまり働かない、ということがある。それは果たして本当なのかどうかは今後の2年で分かってくると思う。しかしこの前、村に行ってみてフィジー人の家にホームステイしたが、多くの家でテレビや冷蔵庫があったという。ある家では車なども所有していた。これらの電化製品は日本と比べると価格は高い。またフィジー人の平均収入(7‐8万ぐらい?)から見ても安くはない。しかし購入しているということは現金収入があるということだ。村のフィジー人の中には朝から夜まで養鶏をやっている働き者の人もいたらしい。また多くの人がある時期にサトウキビのプランテーションへ出稼ぎに行くと聞いたことがある。村に入るとまずフィジー人にとって働くということはどういうことか、お金の使い道はどんなものかについて調べる必要がありそうだ。
 日本でもだが稲作には大量の労働力を投入する必要がある。特に水稲稲作を行うためには水の管理や農機具の管理などコストも時間も手間もかかる。しかし所有している土地が小さければどんなに頑張っても自家消費で終わってしまう場合もある。フィジー人がタロやキャッサバを主食として選択したのはもしかしたら彼らにとっては合理的であったのかもしれない。しかし余暇を果たしてどのように使っているのかはまだわからない。それを理解することなくフィジー人が働かないなど言えないだろう。

10月19日(火)
 相変わらずヒンドゥー語を勉強する。頭に入らない。
 今日は同期のメンバーがドミトリーで誕生日を祝ってくれた。プレゼントは変なTシャツと変なキャラクターのネクタイであった。誕生日のケーキは町のパン屋さんで買ってきたらしいが、青いクリームがかなり印象的であった。味は…。

10月20日(水)
 相変わらずヒンドゥー語の授業。楽しくなく、苦痛を感じる。
 町で味ポンを見つける。

10月21日(木)
 ヒンドゥー語に全く集中できない。困った。困った。
 スバの町にも慣れてきた(飽きてきてた)。スバは買い物するところはいろいろあるが、ここでの生活は日本の生活と大して変わらない。唯一面白いのは野菜市場くらいである。
 スバはフィジーの首都で大きいといっても大した大きさではない。他の町が小さすぎるのだ。町にはいくつかのショッピングセンターや映画館などもある。食糧もお金さえ出せば日本食を作るのに最低限必要な材料は揃う。小さい町であるが交通量はあり、信号などが少ないために道路を渡るのはちょっと危ない。車は町中ではゆっくり走っているが、歩行者優先ではないので、運転手は人を轢くのも覚悟して運転しているような錯覚に陥る。おそらく勇気ある人が優先なのだろう。
 スバの町で良く見かけるのはネイティヴフィジー人とインド系であるが、中国人も多く滞在している。ショップのオーナーの多くは他の国と同様にインド系か中国人である。スバで一番頭のいい高校(中学?)も中国系の学校で、下校時には町で中国人の子どもを多くみかけることがある。アフリカの国と違うのは町を歩いていても「チェンチェン」や「チナ」と言われないことだ。しかし聞くところによると中国人のイメージはフィジーでもそこまで良くないらしい。
 この日の夜はシニアの方の家で御馳走になった。フィジーは肉が安く、ステーキを食べまくった。大根おろしにワサビ、ポン酢で最高であった。
06 26
2010

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ドバイ

デュッセルドルフから帰って来る途中、空港で足止めされた。一度は飛行機に乗ったものの、エンジンの故障で空港で4時間ほど待たされた。それでやっと出発したものの、ドバイでの大阪までの飛行機に間に合わず、ドバイで1日足止めされることとなった。

ホテル代と食事代は向こう持ちで無料であったが、いきなり言われても退屈でしかたない。とりあえずホテルで朝食をとり、眠ったが中途半端にしか寝れなかった。W杯を観るためにツアーに行くのを諦め、部屋にいたがTVでは放送されていなかった。

お金も1万円札しかなく、1日のために両替する気にもなれず遠くにはいけない。なのでホテルの周りをうろうろしていたが、暑い!!暑すぎる!!気温は42度…。

IMG_5139.jpg


バス停は個室になっており、クーラー完備であった。さすが金持ちの国。

IMG_5142.jpg


しかし観光ガイドを見ても先進的なビルがあるだけらしい。特に興味なし。
ホテルの料理もあまりおいしくなく、なんか本当に1日無駄にしたなという感じ。

その後は関西国際空港に着くなり、研修のためそのまま東京に向かいましたとさ。
05 27
2010

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技術補完研修その5~フィールドワーク~

技術補完研修3週間のうち、最初の一週間は鹿屋市を中心に地域づくりなどに取り組んでいる人々から経験談を聞き、彼らの持っているノウハウを得る期間であった。

ただ後半の2週間はKAPICの近くの高隈地区においてフィールドワークである。残念ながら今回は宮崎県の口蹄菌の問題で移動制限された。

フィールドワークの詳細に関してはプライバシーの関係もあるのでここではあまり書かない方がいいと思う。ただ研修はやっと今日で折り返し。
05 11
2010

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今日からまた…

こんにちは。

これからまた日記をつけていくことに決めました。
これまでいろんな人にお世話になってきて、またこれからもお世話になると思います。
なんで自分自身が学んだことを何か還元できれば幸いです。

さて今後の予定は青年海外協力隊で10月からフィジーに村落開発普及員として行ってきます。
ただし10月までは鹿児島や長野で研修が控えています。

こうした経験を通して何を自分が得られるのかいまから楽しみです。

もしよければお付き合いください。
プロフィール

Teppei

Author:Teppei
2003年-2006年 都留文科大学で国際協力とスピードスケートに出会う
2006年4月 イギリスのCollege for International Cooperation and Developmentに半年間所属
2006年11月 マラウイのDevelopment AID from People to Peopleに半年間所属。農村を走り回る。
2007年 大学に戻る。
2008年 名古屋大のGSIDで農村開発を専攻
2010年 JOCVでフィジーの村落開発に関わる予定

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